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「ぜんぶが悪」などという組織は存在しない

どんなものごとにも、2つの解釈が成り立つ。自分に都合のイイ解釈と、相手側に都合のイイ解釈だ。殺人事件が起これば、被告は「殺意はなかった」と言い、検察は「計画的だった」と言う。「殺意はなかった」というのが被告にとって都合のイイ解釈で、「計画的犯行だ」というのが相手側(検察)にとって都合のイイ解釈である。

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昨日ツイッターで、「アメリカで郵便投票が盗難に遭っているけれども、大手ネットワークがそれを報じない」という主旨の英文記事を紹介した。

この記事の中で、筆者は、「なぜ大手ネットワークはこの事件を報じないのだろう?」と問う。そして自らこう答える。

数通が盗まれただけでは大きな問題にならないと考えたのだろう。

こういう文章を読むとぼくはこの人をスキになるし、この人の言うことをすこし多めに信用するようになる。

「大手メディアの隠ぺい工作だ!」と叫ぶのはじつにカンタンだし、読者ウケもイイ。

しかし、著者はそうしなかった。「わずか9通が盗まれたことを大きく報じるのはいまはやめておこうと判断したのではないか」と推測した。隠ぺい工作ではなくて、妥当な判断だと考えたのだ。自分に都合のイイ解釈を採らず、相手(大手メディア)に都合のイイ解釈を採った。

もちろん、大手メディアの悪意によっていんぺいされた可能性もある。報道しようとしたけれど「上司からストップがかかった」のかもしれないし、「バイデンが当選するのが正義であり、正義を遂行するためには真実をねじ曲げても許されるのだ」というメディアの偏向によっていんぺいされたのかもしれない。

隠ぺいなのか、そうでないのか。どちらが本当なのかはわからない。ならば、どっちの解釈をとるべきか?自分に都合のイイ解釈か、相手側に都合のイイ解釈か。

その選択に表れるのは、大手メディアの品性ではなく、あなたの品性だ。

この著者は、「自分にとって」都合のイイ解釈ではなく、あえて「相手側にとって」都合のイイ解釈を選んだ。だから、ぼくはこの記事を気に入ったし、この著者への信用が高まった。

今後かれがなんらかの疑惑を支持することがあれば、ぼくはその判断を重く見るだろう。そして、かなりの確率でかれを信用すると思う。信用とはそういう風に作用する。

他方で、何かがあるたびに「大手のインボーだ」、「政府のインボーだ」と、いつも自分サイドに都合のイイ解釈ばかりして騒いでいる人の言うことは、信用できない。

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自分たちに都合のイイ解釈を採れば、仲間たちからは喝さいを浴びる。それはバイデン側でもトランプ側でも同じだ。仲間うちの結束は固まる。だがその分、相手側とのミゾも深まる。

これが一番やってはいけないことだというのは、オウム真理教の末路を見ればわかる。

オウムは「国家が自分たちを滅ぼそうとしている」という思いで結束していた。そういう解釈をすれば、内部の結束を高めることはできる。だが、外部とのミゾも深まっていく。

オウムがあそこまで孤立し、被害者意識を強めなければ、サリンをまくこともなかったし、その結果つぶれることもなかった。公安ににらまれつつも、組織としてなんとか存続していただろう。

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もう21世紀だし、もう令和である。

何かが起こったらすぐに「巨悪のしわざ」とみる昭和っぽい解釈は、そろそろやめてもいいんじゃないだろうか?

国家だろうと、企業だろうと、「ぜんぶが悪」などという優秀すぎる組織は存在しない。どんな組織の中にも良心的な人はいる。

そして、ワルい人が多い組織ほど、内部に根深い不信や軋轢を抱えていて、バラバラだ。

利己的な人間同士が、恐れと猜疑心で結び付いているのだから、ショッカーみたいな一糸乱れぬワルい動きなどできない。

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