オタクが未来の戦争を防ぐ力になる
うちの近所にはマンションが林立している。林立というのは文字通りの「林立」だ。
この10年間、工事の音が絶えたことがなく、次から次へとタケノコのように背の高いビルが立ち並んだ。とはいえ、日本人は増えていないのになぜこんなにマンションばかり増えるのかという点については、今日の本題ではないのでスルーしたい。
さて、とにかくこれだけビルが林立すると、音が響きやすい。深夜になると遠くのほうの小さな音まで聞こえてくる。
昨晩、深夜の1時前後のことだったが、このビルの谷間を、若い数人のグループが歩いてきた。じっさいに見たわけではないけど、「若くて、男性だけで、人数は3~4人程度で、そしてかなり酔っている」ということは、音だけで手に取るようにわかった。
そして、そのうちのひとりがとつぜん大声でアニソンを歌いだしたのだった。なんの主題歌だったかわからないけどどこかで聞いたおぼえがある。そしてアニソンだということもまちがいない。
声がずいぶん若かったので、二十歳そこそこだろう。仲間がすばやく止めたので歌ったのはワンフレーズだけであり、だれも迷惑はしていない。しかし、そのときぼくは
としみじみ思い、そして、しばらく考えさせられた。
これが、昭和のオヤジなら、ぴんから兄弟の「女のみち」をうなっているところである。ちょび髭オヤジがガラガラ声で
とこぶしをぶん回すのが、ぼくのイメージしている「昭和の酔っ払い」だ
しかしいまはアニソンなのである。
アニソンが悪いというつもりはない。そういう日本のオタクっぽさが世界に浸透すれば、もしかすると未来の戦争を防ぐ力になるのではないかということを言いたい。
アニソンは子どもたちのものだ。そして、深夜の一時にはこどもたちはすでに寝ているわけだが、その若者のアニソンは、こどもがよっぱらって歌っているようにぼくには聞こえた。いい意味でまだ大人になっていない。そういう若々しい声だった。
その声を聴いて、これまでぼくが理解できなかったアニソンの良さがちょっとわかったような気がしたのだ。アニソンの良さは、幼児がえりできることにあるのではないかと。
そういやぼくも高校時代のごく一時期に、仮面ライダーやウルトラマンにやたらと郷愁をおぼえたことがあった。
たぶん、飲酒とかセックスとか、そういう大人の世界に入っていく直前に子ども時代に帰りたくなったのだろう。あの郷愁が、二十歳を越えて持続しているのだと考えれば、アニソン好きの気持ちはわからないでもない。
不幸にして、日本のオタク文化のはじまりは「連続幼女誘拐殺人事件」と重なっているので、オタクというとゆがんだ性欲を隠し持っているようなステレオタイプができてしまっている。しかし実際のところ、30歳を越えて小学生アイドルをおっかけているような、髭の濃い中年男性には、声が柔らかく、おだやかで、じつに紳士な人たちが多い。
ところで話はそれるが、日本人の長所は、生活のあらゆる面を芸術化することに長けている点だとよく言われる。これは「かわいい」の文化にもよく表れているが、しかし、審美眼が鋭い半面で、それが倫理的な弱さにつながっているのがこの国の弱点でもある。
日本人は、どんなものでも美的にしてしまうセンスを持っているのだが、その反面、俳句のような小さな美的世界に閉じこもり、荒々しい行動に打って出る強さにかけるのである。
こう考えてみると、オタクのやさしさと弱さは、もともと日本人全体が持っているものだということがわかる。オタクが凶暴な人々ではないというのは、日本人が凶暴な民族でないというのと同じことなのだ。
そして、いま、世界中でオタクは増えている。繊細で閉じこもりがちで、凶暴さに欠ける若い人は徐々に多くなっている。
そうすると、未来の戦争を避けるには、こういう大人になりたくない若者をもっと増やして、全世界をオタク化していくのがいちばんなのではないかと思えてきた。今後、白人至上主義の凶暴さを無効化できるとすれば、それはオタク文化しかいないのではないか。
世界中の子どもたちが接するコンテンツのオタク度を上げて、大人になっても離れがたいような完成度の高いものにしていくことで、戦争をしない大人を生み出せるのではないかとふと思った。
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