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ある芸人さんがバラエティー番組の中でこういうことを言っていた

ある芸人さんがバラエティー番組の中でこういうことを言っていた。「テレビを見ているときはつづきが気になって見つづけるんだけど、次の日になったらその内容を忘れている」と。

これはテレビあるあるだ。ぼくもバラエティー番組の結果がどうしても気になりCMをまたいで見てしまうことがある。しかし、あとで考えたらどーでもいい内容なのである。まあ、見せられてしまうわけだ。

ちなみに、だれかが一所懸命につくっている番組がどーでもいいと言うつもりはない。ただし、ぼくの人生にとってはクイズ番組でAチームが勝つかBチームが勝つかは、CMをまたいで確認しなければならないほどのことではない。

しかし、それを言い出したら、好きな昭和野球マンガ『タッチ』で、明青学園が勝つか須見工業が勝つかも、ほんらいはどーでもいいことだ。しょせん作り話でしかない。

しかし、ぼくは『タッチ』を読むときにムダな時間を使っているとは感じない。おそらく作品そのものに力があるからだろう。作りものの野球マンガでもぼくのこころに深く響いている。

作品そのものの力と言えば、つげ義春の『無能の人』は短い作品だけど、26巻ある『タッチ』とどちらをとるかと言われれば正直迷う。『無能の人』から受けた影響の方が大きいかもしれない。

さて・・・

このあたりで気のきいた結論をつけて終われればいいのだけど、今のぼく自身は「そうは言ってもなあ・・」という感じである。これは昨日今日始まったことではない。どんなに楽しい話や景気のいい話やサクセスストーリーを聞いても「そうは言ってもなあ・・・」と感じるようになったのは、いつぐらいからだろう?たぶん、去年の11月あたりからだ。

病的かもしれない。

それ以前も、たとえばウイルス楽観論を聞くたびに自分の無力を感じてはいた。だが、それは今思えばささいなことだ。それとは比較できない無力感をおぼえるようになったのはここ最近である。

いまここで、なにか具体的に書きたいわけでも伝えたいわけでもない。そしてこの先も、なにか具体的に書くことも伝えることもないだろう。ただ、今のぼくは、真摯に本気で書こうと思ったらこういう書き方しかできない。

結論をごまかした明るい文章ではなく、真摯かつ暗い文章でもなく、真摯かつ明るい文章を書くには、ぼくはきっと人間力が足らない。しかし、明日は今日よりもわずかでも明るく、わずかでも真摯な文章を書く。濃密な時間を過ごすとは、そういうことにちがいない(でも毎日はムリ)。

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