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5年先なら読めるけど10年先はまったく読めない

類は友を呼ぶというコトバはむかしからある。

でも、SNSが普及したことで、この現象はさらに加速している。

友(とも)だけではない。

モノも同じ。

いまぼくの目の前にあらわれているネット広告は、ぼくが欲しがりそうだとAIが予測したものばかりだ。

あまり当たってないけど。。。

情報もそうである。

ぼくの世界はどんどん狭まっている。

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かりに2050年の世界に行けたと仮定してみよう。

そこから2020年をふりかえった場合に「あの情報が決定的だった」というようなものはかならずあるはずだ。

そして、すでにネットのどこかに転がっているのだろう。

でもそれが何なのかわからない。

探せば探すほど遠ざかってしまいそうな気もするし、なんだかムズカシイ。

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将棋の藤井7段の指した手が、コンピュータが六億手読んだらベストな手だとわかったというニュースがあった。

六億通りの手というのは、28手先まで読んだ結果だそうだ。

じっさいは、すべての手のパターンを読んでいったなら4手先で1億通りあるという。

5手先で100億通り、6手先で1兆通りあるそうだから、28手先で6億通りというのはそれほど多くはないと、この記事に書いてあった。

それはともかく、5手先じゃなくて、5年先ならだいたいわかる。

おそらく通貨が世界をひっくり返すだろう。

ただし、それが法定デジタル通貨なのか

非中央集権の暗号資産にかかわるのか

それとも、MMT(現代貨幣理論)になるのかはわからないけど。

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しかし、10年先のことになるとまったくわからない。

30年先になるともう皆目わからない。

たぶん、どこかの場にアクセスできればわかるんじゃないだろうか。

30年前なら、シリコンバレーにいたらかなりわかっただろう。

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ぼろもうけしたければ来年のことがわかれば十分である。

90年代にカセットテープをつかってポッドキャストのようなことをやろうとして失敗したアメリカ人がいる。

いま彼は、あらゆるポッドキャスト業者を特許侵害で提訴している。

1990年代にスマホのアイデアを思いついても、同じ目にあうだろう。

30年先のことがわかってもぼろもうけはできない。

でも、なんだか知りたいんですよね。

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