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ヒトは若くありたい

高校生から大学に入るくらいのの年頃は、だれでも背伸びをしたくなるものだ。サケを飲みたくなったり、タバコを吸いたくなったり、デートしたくなったり、バイクやクルマの免許を取りたくなったりパチンコ屋に入りたくなったり、ひとり暮らしをしたくなったりする。

それまでスーパーマリオで遊んだり、スターウォーズに夢中になっていた自分が急にガキっぽく思えてきて、哲学書を読んでみたり、ヨーロッパ映画を見るようになったり、ジャズを聴くようになったりした。

現在のぼくはビデオゲームがスキだ。それが「ガキっぽい」とみられることも承知のうえで公言している。ガキっぽくても平気である。

でも、かつては平気ではなかった。上に書いたように、ハタチ前後のころは、ガキっぽさを捨てるために必死だった。ゲームなどやるわけがない。あんなものはガキのやることだ。・・・というわけで、じつは高校を出てから、30代後半までの20年弱のあいだ、ゲームはまったくやっていません。ここに告白します。ずっとゲーム業界を支えてきたゲーマーのみなさん、あなたがたからすればぼくはニセモノである。

30代後半になってふたたびやりはじめた理由は、危機感だ。これだけ巨大化し、世界を席巻しているゲーム産業にまったく首を突っ込まないでいるのはマズいのではないか?アタマがオヤジになってしまうのではないか?ということを危惧してとりあえずやってみることにした。

ガキを卒業したくて止めたくせに、20年もすると今度はオヤジになりたくなくてふたたびやりだしたわけだ。

最近、TikTokをよく見るんだけど、これもまったく同じ動機である。さらに最近VR(仮想現実)の機械も買ったんだけど、これも、まーったく同じ動機である。あたらしいものをムシして、アタマの固いオヤジになってしまうのがイヤだからやっている。

でも、ぼくが若かったころ、すでにオヤジだった人たちは自分のアタマが固くなることを恐れているようには見えなかった。わかいぼくらも、年長の人たちのことをほどよくリスペクトしていた。当時は「老害」などというコトバもなかった。

今との大きなちがいは、時代のスピードだ。情報テクノロジーの発達にともなって、変化のスピードはぐいんと上がった。

わかかったころは「お前ら若いやつらはなんにもわかっちゃいない」とオヤジどもに言われ、そして今、ようやくオヤジになってみると今度は「アタマの固いオヤジは老害だ」と言われてしまう。

世界のデジタル化の転換点は、2000年を中心にした数年だとおもう。その時期に何歳だったのかというのは、大きいよなあ。。。

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