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世の中にイヤなことはいっぱいあるけど、悩みというのはないような気がする

なやみというのがよくわからない。ツラいことやイヤなことはいっぱいある。しかし、それはなやみではない。問題やら障害やらである。対策をねって一歩一歩乗り越えていくしかない。

ぼくはメンタルが強くはない。どちらかといえば弱いほうだ。いや、しかし、なやみがないということは、もしかするとひょっとすると...ぼくはメンタルが少し強めなのだろうか?いやいや、それはないよね~。でも、なやみはないのである。これが不思議で、さいきんではけっこう毎日、なやみについて考えている。

ところで、数日前のnoteで「人の悩みに寄り添っている余裕がない」と書いてしまったんだけど、それをやや後悔するような出来事がおこった。ぼくのnoteを読んだ方からメールをいただき「心が軽くなりました」と感謝のコトバをいただいてしまったからである。

なんと!それは、その人の「悩みがかるくなった」ということなのだろう。
うれしかったが、申し訳ない。その人は「わけあって」noteのアカウントを閉じるのだそうだ。ぼくは「閉じないでどんどん書いていきましょ~よ!」となやみのかけらもない返事を送ってしまった。

ぼくはアカウントを閉じようと考えたことはない。このアカウントは、僕の意思とは無関係に、このままそんざいしつづけるものだと思っている。今日のようにいそがしいと書くのがウザイ。それでも飯を食ったり、うんこをしたりするように、noteも書かければいけないと思い込んでいるので、仕方なく書いている。これは悩みではない。ウザイだけである。

ぼくはいま、何がツラいのか?「80を越えた父が免許返納にまったく応じない」という問題はある。これからも説得は続けるが、まあ無理だろう。いつか事故を起こし、ぼくが被害者宅に出向いて土下座をする日が来るのだろうと観念している。これはなやみではない。あきらめだ。

明日の朝までに仕事を終えられるかどうかきびしい状況である。だから早めにこのnoteを書いている。それは厳しけど、わかっていることだ。うまくいけばおわるし、失敗すれば信用をなくす。これはなやみではない。事実である。

戦争やテロがなくならないこと。差別やいじめがなくならないこと。これらは世の中のイヤなことだ。しかし、これらは悩みではない。問題である。

なやみっていったいなんなんだろう?なやみってなんなんだ? こうしてみると、なやみというのがわからなくてなやんでいるようにも思える。しかし、これはなやみではない。当分書くネタができたということである。

世の中にイヤなことはいっぱいあるけど、悩みというのはないような気がするな~。

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