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先回りして考える

お芝居にはむかしから「バックステージもの」よばれるジャンルがあって、これは、芝居の舞台裏をえがく芝居である。

バックステージものは映画にもよくあり、映画製作の裏側が描かれる。有名なのはフェデリコ・フェリー二の『8 1/2』だろうか。日本では北野武監督の『監督・ばんざい!』というのも知られている。どちらも、映画製作に苦悩する監督の姿が描かれている。

あたりまえのことだが、バックステージもの裏側には本当のバックステージが存在する。そして本物のバックステージが脚光を浴びることはぜったいにない。バックステージ映画も同じで、作中で監督を演じている俳優は、かならず本物の監督の指示で動いており、カメラマンを演じる俳優は、本物のカメラマンによって撮影されている。

かつて山田洋次監督の『キネマの天地』(1986)というバックステージ映画があった。これは往年の松竹映画 鎌田撮影所を舞台にした映画である。

ぼくはこの作品を見ていないのだが、劇場で「キネマの天地 撮影快調!」という予告編を見たことがあり、おもしろかったのでおぼえている。いまこの動画が見つからないのでうろ覚えで書くけど、以下のような内容だった。

男女が語り合いながら歩くシーンをレールに乗ったカメラが撮影している。そのカメラを、さらに後ろから別のカメラが撮影している。撮影快調!

というような内容だった。つまり、映画の中に「映画を撮っているふりをしているカメラ」があり、その後ろには、そのニセの撮影風景を撮影している本物のカメラがあるわけだけど、その「本物の」カメラも画面に映ってしまっていた。つまり、ニセのカメラを映しているカメラもじつはニセモノだというちょっとしたお遊びである。本物のカメラはさらにそのうしろにあるはずなのだが、このカメラが映ることはもちろんない。

つまり、どれだけ舞台裏を画面にさらけ出しても、かならずその裏には、本物の舞台裏が隠れているということである。映画のメイキング映像を撮影しているクルーにもメイキングのメイキングがあるはずだが、それはメイキングとして残ることはない。

この構造は、芝居や映画だけでなく、あらゆるノウハウものにあてはまると思うのである。

「YouTubeのノウハウ」という動画の背後にも、そのノウハウの公開を支えるノウハウが存在している。

視聴者が公開されたノウハウに注目しているとき、発信者はすでに別のノウハウにとりくんでいる。公開された情報を受け取るだけでなく、なぜ発信者はこのノウハウを公開したのか?それによって何が得られるのか?といったところまで先回りして考えつつ視聴しなければ、いつまでもたっても、一歩遅れてついていくだけの人になってしまうんだよなあ、とふと考えた。

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