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とんかつは日本のこころです

かりに・・・仮にである、タイムマシンがあったとしたらあなたは未来へ向かうか?それとも過去へ向かうか?これは真っ二つに分かれるだろう。ぼくはまちがいなく未来へ向かう。

では、タイムマシンの回数券10回分をもらったらどうしますか?「5回未来へ行って5回過去へ行く」というような、玉虫色の政府決定のような、繰り返される緊急事態宣言のような、ストレートを待ちつつカーブに対応するようなあいまいなことをやりますか。ちなみにぼくは10回とも未来へ行く。終わったことについてあれこれ考えても仕方がないと考えるタイプなのである。過去というものにあまり関心がないタイプだ。

しかし、10回とも過去へ行くという人がいることもわかっている。ぼくがツイッターで交流している人の中にはどちらかといえばそういう人が多そうである。これは良い悪いではなく、好みの問題だとしか言えない。

ちなみに未来のすごいところは「株価やロトを見てきたら大もうけできる」という点にある。過去に行ってもこれはできない。しかし過去に行けばキリストのサインをもらえるかもしれないし、ゴッホに肖像画を描いてもらえるかもしれないので、やはり好みの問題だ。

とはいえ、歴史認識が重要だということはわかっているつもりだ。結局のところ、現在というのは過去の紆余曲折がつみかさなって成立しているのであり、現在の地形の下には過去の地層がかくれている。そこを忘れてしまったら現在というものを正確に理解することはできない。それはもう重々わかっておりまする。ただし、歴史が重要だということと古いものがスキというのは同じではなく、ぼくは古いものがとくにすきなわけではないということである。

歴史認識と言えば、ぼくは歌というものをまるでわからないので思い切っていってしまうけど「演歌は日本の心です」というのはほんとうだろうか?ちなみに森進一さんは「自分は演歌歌手ではない、歌謡曲の歌手だ」といっていた。すくなくとも、戦後しばらくまでは演歌と呼べるようなものは日本にはなかったようにおもう。美空ひばりも最初のころに歌っていた曲は演歌ではないし、戦前にはやった東京音頭も戦後にはやったリンゴの唄も演歌とはちがう。山田耕作も古賀政男もちがうような気がする。青い山脈も高校三年生にも演歌のような憂いはない。

ウィキペディアには「演歌とは1960年代半ばに日本の歌謡曲から派生したジャンルで、日本人独特の感覚や情念に基づく娯楽的な歌曲の分類の一つである」と書かれている。ほんとうだろうか。日本人の情念とはあんなドロドロしたものなのか。ぼくに言わせれば日本人とはわりに「水に流す」タイプであり、鬼畜米英からマッカーサー万歳へと無節操に転換する。

一方、韓国には1960年代どころかもっと前から演歌っぽい歌がある。朝鮮民謡みたいなやつだ。留学時代に韓国人の友人ががカーステレオでかけくれたのでまちがいない。ぼくが「いい曲だ」と言ったら笑って「これは100年くらい前の曲だぞ」といわれた。そのとき以来、ぼくは演歌が1960年代に対馬海峡を渡ってきたのではないかと思うようになった。

しかし、今ちょっと調べてみたところでは、そんなに簡単な話でもなさそうである。日本統治時代に歌謡曲が朝鮮半島に伝わり、その後独自に哀愁を加えていったらしい。つまり、ロックがレゲエになったようなことの逆パターンなのかもしれないなー。

それはともかく、その友人は「演歌は日本から来たものかもしれないけど」と謙虚に言ったので「いやこれは君の国で生まれたものではないかと思う」とぼくは答えた。かれらは面と向かったらわりに謙虚である。

ちなみに彼は「トンカツが日本からきたものかどうかわからないけど」とも言ったので、そこはしっかりと「トンはポークで、カツはカットレットである」と答えておいた。すると彼は「オオ、トン・カツ。。。トン・カツ!」と霧が晴れたように感動していた。

というわけで、歴史というのはわきまえておくべきものである。

ちなみに日本人が伝統だと思っているものは、案外、戦後始まったものが多い。決して江戸時代から続いているものではないので、そのこともわきまえて徐々にバージョンアップしていければいいと思うのだがずっと同じでやっているから国全体が古ぼけた感じになってしまっているのではないだろうか。NHKもさっさとスクランブルしたほうがいいと個人的には思っている。

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