「この人についていったらうまくいくんじゃないか」
昨晩、ジャッキーチェンの『ベスト・キッド』という映画を見ていて「弟子入り」ということについてちょっと考えさせられた。カンフーの達人に「弟子入りする」マインドは、新興宗教に入信するマインドとたいして変わらないのではないかと。
『ベスト・キッド』は、いじめられっ子の男の子がジャッキーチェンに弟子入りして、強くしてもらうというストーリーだ。
この映画はリメイク版でオリジナルは1980年代に公開されて大ヒットした。ストーリーは同じで、いじめられっ子が空手の達人に弟子入りして強くしてもらうという話。
どちらもポイントは、師匠の言いなりになってわけのわからない練習をやらされているうちに、
というところにある。思考停止して師匠の言いなりになっていると、強くなってました!というところがおもしろいのである。
よく雑誌の裏表紙に怪しげな「開運ブレスレット」の広告が載っているが、あれとおなじだ。あの手のブレスレットは
みたいなあやしげな「体験者の話」が掲載されているのだが、考えることを止めて誰かのいいなりになっているとすべてがうまくいく、という考え方が新興宗教である。
疑問を持ってはいけない
「1円ももらわないで、24時間選挙応援をやる」なんて普通に考えたらありえないけど、あれはベスト・キッドの男の子がわけのわからない練習をやらされているのと同じで、とにかく
ところがポイントなのである。自分の考えを捨てて、どんなバカげたことでもひたすらいいなりになってやる。そうやって身を粉にしていれば、やがて知らず知らずに救われる、と信じているからこそ、あんな気ちがいじみたことをやれる。
部下いりませんか?
さて、こんな風にわかったようなことを言っているぼくだが、IT会社に勤めていた30代の頃にフリーの営業マンの人に出会って
みたいなことを言っちゃったことがあるのだ。正確には「ついていきたい」ではなくて、それとなく
みたいな聞き方をしたのだが
とすげなく断られた。そして、おもしろいのは、これとだいたい同じ時期に、ぼく自身が10歳くらい年下の別な同僚から
みたいなことを言われて、そしてすげなく断っているのである。確か帰り道でその同僚と歩いているととつぜん言われたのだが、それに対してぼくは
みたいな答え方をし、そして同僚から
といって目をウルウルさせられたのだが、そのときはほんとに
と思っていたのである。しかし、そういうぼく自身が、だいたい同じ時期にフリーの営業マンに「ついていこう」とした記憶もあるので、すごく矛盾している。どう考えてもこの2つの出来事は1年以上は離れていない。
魔が差したらだれでも同じ
ベスト・キッドを見ていて、そういうことを思い出したのだが、同時に
とも思った。「ついていく」という発想は宗教みたいで気持ち悪いと考えるので、そういうことは言わない。
でも、当時からそう思っていたのである。弟子入りは「甘え」の発想だと当時から思っていたこそ、若い同僚に対して
と言ったわけで、考え方は今と同じだ。そうすると逆にフリーの営業マンに
とたずねたときの自分は何だったのだろう?と思わずにいられない。なんであんなことを言ってしまったのだろうか。たぶん、方向性が定まらず、なんかモヤモヤしていたときに、
とふと思わされたのだ。それくらいカッコいい人だったのだが、それにしてもわけがわからない。「だれにでも魔が差すことはあるのだな」としか言えない。
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