映画はなぜ2時間なのか?
今日は「映画はなぜ2時間なのか?」ということをボツボツかんがえてみた。映画は、短くて80~90分で、長くても3時間足らずのものが多い。なぜなのだろうか。
ネットを検索してみると、理由はだいたい2つに分かれている。
・1つはあまり長いと観客の集中力が切れるのでそのくらいに落ち着いたという説。
・もう1つは、3時間を越えると上映回数が減って客の回転が落ちるという映画館の都合だ。
たぶんどっちも当たっているのだろうが、そのうえで、
というのが今日の話です。
問いをまちがっていた
ぼくはこどものころから映画が好きだが、
などということは最近まで考えたことがない。なぜならそういうことをかんがえる必要がなかったからである。
ではなぜ今になって映画が2時間前後である理由を考えることになったのかと言うと「そうでないものが増えてきたから」だといえる。
TikTokのようなショート動画も流行っているし、Netflixに代表される、映画並みのクオリティで10時間近く続くようなオリジナルドラマも流行っている。いろいろ選択肢が増えた中で「なぜ自分は、ショート動画にも、Netflixにも食指が動かないんだろう」
これがたぶん、ぼくが知りたかった本当の問いだ。
なぜ2時間の映画を好むのか?
そして答えは、たぶん、
だと思う。正確には、
である。ちなみに最近見た作品をざっと挙げてみると、
『シン・仮面ライダー』だけが突出して新しいが、それ以外は1940~60年代に偏っている。なお、どさくさに紛れてヘンな物(『2889 原子怪人の復讐』)が含まれているけど、気にしないでほしい。
「シシリー・・」以外はアマゾンプライムで見たのだが、ぼくにとってのアマゾンプライムはフィルムライブラリのイメージである。一方、Netflixは、新刊書をおいてある書店のイメージだ。なので、アマゾンプライムばかり見ているのは、書店よりも図書館に通っている感覚に近い。
古典を読めという人がいる
さて、読書家の中には、
という人が一定の割合で存在する。ぼくもどちらかといえばそれに近くて人に「読め」という気はないけど、自分はどちらかといえば古いものを好む。
理由は「普遍的な知識が得られるから」ではなく、そのほうが落ち着くからにすぎない。新しいものはあわただしいが、古い本は読んでいて気分がおちつくので、そちらを好む。根が内向的だからだろう。
インテリア好きにも「アンティーク好き」というのが一定数いるでしょう。あれと似たようなものだろう。おそらく映画も同じで、2時間の古いフォーマットの方が気分がおちつくので、そういうものを好むのだと思う。
映像にアンティークが生まれたのは最近のこと
さて、書物の世界では、ずいぶん以前から新書も聖書も同列で並んでおり、古いものにも新しいものにもまんべんなく接することのできる環境が整っていた。
一方、映像は20世紀に生まれた比較的新しい技術なので、長いあいだ「映像=新しい」という図式が存在していた。しかし、映像の世界にも歴史が積み重なってきて、アンティーク好きが存在できる成熟した環境が生まれつつあるようだ。
新しいものを見たければネットフリックスを見ればいいし、古いものを見たければアマゾンで『2889 原子怪人の復讐』を見ればいい。
なお、『2889 原子怪人の復讐』は、駄作の天才と呼ばれる監督が撮った作品なので、ぼくは見れてよかったけど、時間は有限なのでだれにも勧める気はありません。
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