「アンヌ、ぼくはね、地球の人間じゃないんだよ」
ぼくはすごくアタマのいい人、つまりとびきりの秀才には会ったことがあるが天才にはあったことがない。
ただし、そうしたとびきりの秀才が「自分の友人に天才がいる」と言っていたのを聞いたことはある。
かれによるとこの天才は数学者で、世界の最先端の30年先を一人で考えているのだそうだ。ただし見ていて苦しそうなので、自分はああはなりたくないとも語っていた。ただしこう言う本人が、日本代表クラスの頭脳である。
ところで、ぼく自身は「天才というのはいないのではないか」と思っている。天才という「人種」がいるのではなく、人並外れたアイディアをもっている人がいるだけなのではないか。
そう思わされた体験があるのでちょっと書いてみよう。ぼくの友人でわりにそっち(天才)寄りの人がいるのだが、かなりまえにこの人と酒を飲みながらしゃべっていると、だしぬけに
といわれたことがある。続けて
と語った(笑)。そしてニコニコしつつ
といったのである。
さて、ぼくは変人だが天才ではないし、この友人も天才だとは思わない。ただし、この↑会話の流れにやや天才っぽいところがあるのは認める。少なくともフツーの人の会話はこういう展開はしない。
この会話は、起承転結というか序破離の形になっている。序破離とは、起承転結とだいたい同じだが、ちがいは「承」がぬけていきなり「転」にいくところで、いわば「起・転結」である。
上の会話の場合、まず
この切り出し方はややだしぬけだがフツーだ。だれでも他人をほめるときにややおおげさに「天才!」ということはある。天才は見たことないけど、天才という言葉はありふれている。
しかしつぎに「破」がやってくる。
人に向かって「天才でしょ?」といった直後に「自分も天才なんです」と切り返してくる人はそうそういない。
ここでいきなり『ウルトラセブン』にたとえるなら、
くらいの切り返しである。そして直後にオチがくるのだ。
と。かれは天才という言葉の意味をあっという間に換えてしまったわけで、こういわれるとおおげさにいえば世界の見え方が変わるし、これ以後ぼくは「天才」について考えなければならなくなった。。
「ウルトラセブン」でいうなら、
みたいな展開である。
この友人はときどきこういうことをやってくるのだが、なぜこういうことをやれるかというと、元々こういうことを考えているからだろう。
「天才」にかぎらず、いろんなことについて独自の考えを持っているので、こういうこところでチラッと出てくる。
ちなみにかれは20代のころ自転車者で3年かけて南米を一周しているんだけど、これを言われるのを嫌がる。
あれは若気の至りだったし、あのころとは考え方が変わったし、南米のことは言われたくないそうだ。でも、ぼくとしては南米一周がわかりやすいと思う。
独自の考えはちょっとした言葉の端々に現れるけれども、ほとんどの場合は世間に伝わらない。しかし南米一周なら簡単につたわる。
かれは天才だとは思わないが、独自の考えをたくさん持っているのは確かで、あの先に、もしかすると天才と呼ばれる人々がいるのかもしれない。
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