細部に神は宿るのか?

「細部に神は宿る」とは

すばらしい技術はとても細やかで目に見えにくい

という意味であり、おもに美術品や建築物につかわれるコトバだそうだ(ピクシブ事典)。

最初に言ったのは『ボヴァリー夫人』で有名なフランスの作家フローベールだとされている。

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「一流をめざすなら細部をおろそかにするな」という意味にも受けとれる。

ただし、なんでもかんでも細かく気にしろ、ということではない。

石橋をたたいて渡れということではないはずだ。

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他方で「木を見て森を見ず」というコトバもある。

「一部や細部にとらわれすぎて全体に注意を向けず、物事をおろそかにしている状況」を指すのだそうだ。

これは、日本人の得意技である。得意すぎて自滅している。

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細部と全体は、トレードオフの関係にある。どこかで取捨選択してバランスを取らなければならない。

一流の芸術家は、全体と細部へのこだわりを両立しているようにも見えるが、そのぶん世事にうといことが多い。

芸術と世事がトレードオフになっているのだろう。

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どっちがイイとかワルいとかいうハナシではない。

ポイントは、自覚的に、戦略的にトレードオフを行っているかどうかにある。

日本人がものごとにやたら細かいのは、社会の繁栄を求めて、あえて自覚的に細かさを追求しているからだろうか。

それとも、同調圧力に屈して、自分で自分のクビを締めているだけのアホな民族なのだろうか。

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たとえば、ぼくは本業(翻訳)において誤字脱字をいかにへらすかを、最優先で考えている。

どんなに気のきいた訳文をかいても、誤字脱字があったら信用されない。

どれほど疲れていようが、時間がなかろうが、二重三重のチェックを行う。

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一方、このnoteを書くにあたって、誤字脱字はほとんど気にしてない。

それよりもいかにすばやく書き上げるか、いかに労力をかけずに仕上げるか、どれほど忙しい日にも休まずに続けられるかを第一にかんがえている。

また、なるべく漢字をへらして、字面がごちゃごちゃにならないようにこころがけている。

誤字脱字などというムズカシイ漢字はつかいたくない。

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ウェブはスピードと継続だ。

タイプミスなんかいちいち気にしていたら、続かない。

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技術者とよばれる人種には、ものごとを細かくチェックすることに秀でたタイプがおおい。

ぼくの同業も、コトバの技術者なので、そういうタイプがおおい。

そういう人は、ウェブにもそういうものを求めがちだ。しかし、すべてを一つのものさしで測れるというものでもない。

この記事は、ためしにMS Wordで書いて、校正してからnoteに貼り付けたんだけど、レイアウトの修正に手間がかかった。

こういうメンドクサイことはもうやらない。

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