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人の終わり方には人生が出るのではないか

ぼくの生まれ育った土地はややガラの悪いところであり、あんまり詳しく書いてもアレなんだけど・・。ちなみにこの場合の「アレ」ってのは「=支障がある」ということでいいのだろうか。

どん語入門

あんまり「アレ」などということばを多用し始めると「どん語」になってしまうのでアレである。ちなみに「どん語」とは、阪神タイガースの今季監督 岡田彰布氏独特の「きわめて省略のおおい言葉づかい」のことで、たとえば、

そうなればそうなるわな。
独特のアレとああいうのがウケた言うても…

一般人には何をいっているのかわからないが、このどん語を翻訳すると

そうなればそうなるわな。
=自分のニックネーム「どんどん」に語録の「語」を付ければ、「どん語」ということになるわな。

独特のアレとああいうのがウケた言うても…
=独特の方言といいまわしがウケたと言うても…

くらいの意味らしい。阪神担当記者はこのコメントに対して「えっ、なんですか?」などと聞き返すことはできない。忖度して記事を書かねばならないのでたいへんだ。

・・ちなみに今年の岡田監督が「アレ」と呼んでいるのはもっぱら「優勝」という意味だ。そしていまやたらこの「アレ」が流行って、「アレアレ」言われておおはやりしており、今年の阪神のスローガンは「A.R.E.」である。このあたりがパ・リーグとのちがいなのだとひしひし感じる。

実は岡田さんがオリックスの監督をやっていたころも、アレ(=優勝)という「どん語」を連発しており、「アレTシャツ」なるグッズまで作られたらしいがさっぱり流行らなかった。このあたりが、セ・リーグとパ・リーグの違いであり、もっと言うと、パ・リーグだけでなく、Jリーグであろうと、Bリーグであろうと、Vリーグであろうと、日本プロゴルフ選手権であろうと、柔道世界選手権であろうと、JPBA(プロボウリングトーナメント)であろうと、ルマン24時間レースであろうと、「アレ」1つでここまで話題になることはできない。

したがいまして、セ・リーグ以外のファンの皆様におかれましては、競技に集中することをおすすめいたします。

海賊の最期

まあそんなわけで、あんまり詳しく書いてもアレなんだけど、ぼくの生まれ育った地域というのは、わりに海運業が盛んで、あちこちに小さな海運会社があって定期的に世界を騒がせている。

去年だったかな。スエズ運河で座礁して世界のひんしゅくを買ったのも、もちろんこの界隈の海運会社である。ぼくが高校生の頃も町内の海運会社が、ソ連の原子力潜水艦とアレして世界をさわがせたりしていたが、ここまで書くとさすがにアレにそうなるので、あれしてはいけないんだけども。(プライバシーにかかわるので書いてはいけないんだけれども)。

それはそうとして、あえてアレしてしまうなら、ソ連にぶつかった会社の社長は、晩年、自宅のテレビを1日中大音量で鳴らしつづけ、道をいきかう人をだれかれなく捕まえては

いかにして自分が会社をつぶしてしまったのか

をひたすら語るという奇行が見られた。若い頃のぼくにしてみれば、奇妙かつ困る、というだけだったのだが、いまになって振り返ってみれば、あれが「認知症」と言われるもののはしりだったのだろう。

しかし、近所の人々は彼につかまっても「へえへえ」言いながら話を聞いてあげていたようで、あるていど暖かく見守っていたのは頭が下がる。

人の終わり方には人生が出るのではないか

現在、ウチもあそこまでではないにせよ、すでに明け方が迫ってきた現在、父は大音量でNHKラジオを鳴らしつつ眠っているが、近所の人々もそれとなく見守ってくれているのは、ありがたいことである。

ぼくはわけあってアレなので最近は夜型生活をしているのだが、しかし現在は、午前と午後に介護のスタッフが来てくれるので、それにも応対しなければならない。

しかも放っておくと父がどこかに自転車で出かけてしまうので、日中は寝ないで見張っている。そうすると、いつ寝ればいいのかわからくなっているのが現状だ。

自転車の音が聞こえると、「介護の人が来るまで待ってくれ」と説得してなんとかおしとどめているのだが、最近では音を立てないように自転車を出す知恵をつけたらしく、手に負えないのでついに自転車に鍵をかけた。

たった1滴の緑内障の目薬を入れるために、スタッフさんが1日に3回も来てくれるのが悪いのでそういう暴挙に出たのだが、5分に1回ずつ寝ている僕のところに

鍵を外せ
お前はサッサと帰れ!

と言いに来るのでついに寝ることができず、その後ぶったおれて午前3時まで寝ていた。・・このまま朝まで寝てしまいたいところなのだが、それをやるとアレなので、つまりもうnoteを書かなくなりそうなのでこのように書いているわけであり、この文章全体が「この記事には内容がない」ということにたいするいいわけの文章である。

しかし、ところどころに

人の終わり方には人生が出るのではないか。

などといみのありそうなフレーズを挟んでおくと、やや内容ありげに見せることができる。

それにしても、僕はすでに何人も家族を見送ったが、それぞれがその人らしい終わり方を迎えている。父がこれだけハタめいわくでみっともなく軽率な晩年を迎えているのは、彼の人生の縮図だと思えるし、ぼくもやがてじつに自分らしい最期を迎えることになるのだろう。

・・てな感じでやや意味ありげなことを書いておくと、何も考えていなくてもそれっぽい文章が出来上がるということだ。

ついでにタイトルも、「どん語入門」ではなく「文章のでっち上げ方」でもなく、「人の終わり方には人生が出るのではないか」としておくと、明け方に起きて無理やりでっち上げた文章にはとても見えないので、

今日は書くのやめようかな

と思っている人はぜひ参考にしてください。

そういうことで終わりにするけど、でも岡田監督に触れたりしてじゃっかんおもしろくしたつもりなので、まあこんな感じでよろしく。

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