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「3」はイイけど「3」だけでは食えない
幻のアルバム
ブライアン・イーノの「アンビエント3:発光」は、ぼくにとって長年、幻のアルバムだった。
ブライアン・イーノというのはイギリスのミュージシャンで、アンビエントミュージック(環境音楽)の開拓者と言われている。
アルバム「アンビエント」シリーズは1978年の「アンビエント1」から1982年の「アンビエント4」まで合計4作出ているんだけど、そのうち3作目の「アンビエント3」だけが幻の作品みたいになっていた。
あまりに幻なので、ぼくは1990年代まで、このシリーズは、1、2、4だけがリリースされ
3は欠番になっているのではないか?
と勘違いしていたほどだ。それくらい「3」は影も形もなく、何の情報も得られなかった。なぜそうなったかというと、それくらい売れなかったからだろう。
1、2、4はいまでもアマゾンで新品のCDを簡単に買うことができるが、3のCDだけはマーケットプレイスで法外な値段がついている。
3以外はAmazon Music Unlimitedに入っているが、3は入っていない。
そして、3以外はAmazonのmp3ダウンロードで買うこともできるのだが、3だけは買えない。
たまにブックオフオンラインに中古CDが出回るのだが、奪い合いになって瞬く間に消えてしまうので、ようやく手に入れたのが今年の初めくらいである・・といいつつ、いまYouTubeを検索したらフルアルバムがあっさり出てきてしまった。便利な時代になったものだ。
1と2は良いけど、3はちょっと・・
「3」に人気がなかった理由はなんとなくわかる。
「1,2,4」はイーノ自身の楽曲だが、3だけは毛色が異なり、ララージという電子ツィター奏者の演奏に終始している。イーノはプロデュースしているだけだ。
アマゾンのレビュー欄には、イーノのコアファンがポツポツと
3もいいよ!
という熱いレビューを書いている・・が同時に
1と2は良いけど、3はちょっと・・
という意見も根強い。
世間はマンネリを求める
「1と2は良いけど、3はちょっと・・」という人を攻撃するつもりはない。なぜなら
世間とはそういうものだから
である。イーノは、自分のことを「ノン・ミュージシャン」と呼んでいたほどだから、既成概念を次つぎと破って新しいことに取り組んでいくクリエイターだ。
映像作品も撮り、さまざまなアーティストのプロデュースをし、「インスピレーション・カード」なるものまで出版している。
でも世間というのは「同じようなもの」を求める。1と2は聴き飽きたから3を出してほしい人たちの多くが、
1と2と同じような感じで、ちょこっとだけ目先を変えたものを出してほしい
と願っているのが世間の常である。しかし、イーノのようなクリエイターはそういう要望には応えられないし、できるだけ遠くへ跳躍しようとする。そうすると、世間は
なんか思っていたのと違う・・
前のと同じようなのを聴きたい・・
そこまでの新しさは求めていない・・
という風になってしまう。
釣りバカ日誌は立派だ
『男はつらいよ』や『釣りバカ日誌』はずーっと同じような話の繰り返しで、マドンナだけが入れ替わる。
そういうことを世間はイーノにも求めるんだけど、イーノみたいなアーティストにとっては、その手のマンネリを打ち壊すことが創作活動なのでそういうことはできない。
ぼくは、世間とイーノのどっちが悪いとも思わない。
ただし、アーティストには、行けるだけ遠くまで行ってほしいとねがう。跳べるだけ跳んでほしいし、想像もつかないような新しい世界を見せてほしい。そこに食らいついていきたい。
ついていけないとすれば、それはぼくの限界であって、アーティストがつまらないのではない、という風に考える。
アーティストに我慢してほしくない
つくづく『男はつらいよ』や『釣りバカ日誌』は立派だ。あれだけマンネリを繰り返しつつ、「同じもの」を求めているファンの期待にこたえ続けられたのは、よほど我慢強いのだ。
しかしぼくは我慢強くないし、アーティストにも我慢を押し付けたくはないし、じっさい、このnoteの中でも
できるだけアイデアを跳躍させたい
といつも思っており、そのためにはアクセス数は犠牲にする。ただし、できるだけ遠くまで行かせてもらうし、遠慮はしないし、好きなようにやらせてもらう。
もちろん、わかりやすく書こうと努力はしている。しかし、アイデアそのものの質を抑えようとは思っていない。このnoteの発想にキレがないとすれば、それはぼく自身の限界を露呈しているだけのことであり、
必死に跳躍しても、その程度しか跳べないヤツだったんだな・・
と思ってもらって構わない。それが事実だから。
ほんとはもっとスゴイことを考えているんだけど、世間がついてこれないので抑えているんっスよ
みたいなことはやってないのだ。自分がそうなのでアーティストにもどんどん跳んでほしいし、できるだけ自由にやってほしい。たえず殻を破って、限界まで突き進んでもらいたい。でも、世間ではそうはいかない。
おもっていたのとちがう・・
同じようなのをもう1個ほしいだけ・・
新しさはいらない・・
となるんだよな。そして、そういう層を納得させなければおまんまを食えなくなってしまう。
もちろん、おまんまを食わせてくれるありがたい世間をバカにする気はなくて、それはホントにありがたい存在だ。一方で、アーティストが世間に遠慮して力を抑えている姿をみるのもつらいのである。
幸い、イーノは才能が有り余っているので、デヴィッド・ボウイ、トーキング・ヘッズ、U2などのプロデュースで食えており、一方で新しいことに挑戦し続けてきたけど、そんなイーノでも「アンビエント3」だけをやっていたら確実に食えないのだ。
それは仕方がないとして、
「アンビエント3」いいね!
みたいなことだけは、いろんなぶっ飛んだ音楽や映画に対して言い続けていきたい。
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