マッチョな人は苦手
人がむやみに感情的になったり、感情が暴発してしまうときは、考え方が狭くなっているときだ。
もんだいを2つ3つの異なる視点から見ることができれば、冷静になれるし有効な手立ても打てる。
考え方がせまくなる要因の一つにタブーがある。ものごとがタブー視されるとそこで思考が停止し、それ以上深くかんがえることができない。
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性の問題をかんがえてみれば明らかだ。
親子のあいだで性がタブーになると、子どもが性の悩みを抱えていても、つっこんだ話し合いができなくなる。
一口に「性」といっても、じっさいの悩みは多岐にわたる。
性病かもしれないし、妊娠の悩みかもしれない。あるいはLGBTの悩みを抱えているのかもしれない。
だがいったん「性」がタブー視されると、入り口で思考が停止する。それ以上のはなしあいが不可能になり、有効な手立てを講じることができない。
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戦争と平和の問題もおなじだ。
戦争被害者の経験談はあまりにひさんなので、思考が停止する。そして、それ以上つっこんで考えること自体がタブーになってしまう。
しかし、具体的に考えなければならない問題は、その先のところにころがっている。
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順番にぜんぶ書いていったらひと月くらいかかりそうなのでいきなり結論から言います。
軍備についての議論では、「要・不要」と「スキ・キライ」の2つがごちゃごちゃになっている。そこを整理することがまず必要だ。
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ぼく自身は、軍や争いごとといったものがキライである。
いぜん、このnoteでも書いたのだけど、マンガ『タッチ』がスキなのは主人公が好戦的でないからだし、天下をとるためにたくさんの人殺しをした戦国大名のことも英雄視はしていない。
ただし、戦争ぎらいな人はそこで思考を停止して、軍がキライ=軍が不要という結論に飛びきやすい。
だが、キライと不要はイコールではない。
世の中にはスキだけど不要なものもあるし、キライだけど必要なものもある。
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もうちょっと細分化してみよう。
一口に軍や戦争がキライといっても、おおまかにいって2種類のキライが混じっている。
ひとつ目はもちろん、残虐性がキライというもの。
殺したり殺されるのはイヤだし、苦しむのもイヤ。殺されたり苦しんだりしている人を見聞きするのもイヤという感情である。
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しかし、キライにはもうひとつある。軍事や戦いがスキなひとがキライというものだ。
ぼくじしんは「謙信と信玄のどっちが強かったか」というような議論に夢中になっている好戦的な人が苦手である。
軍備の必要性を唱える人には、じつはこういう議論がスキな人が多い。
いいかえるとマッチョ思想の持ち主である。
マッチョな人は「いざとなったら戦争も辞さない」というようなことを平気で言う。
そして、戦車やミサイルや軍服やマシンガンのまわりには、えてしてこの手の人が集まりがちだ。
軍備を増強するということは、ぼくの苦手とするマッチョな人たちが増えていくことを意味するのである。
そのことに抵抗がある。
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リベラルな人が、軍の要・不要の議論をアタマから拒否してしまうのは、保守の論客がマッチョなタイプだからである。
マッチョ系の人間からどれほど理路整然と軍備の必要性を説かれても、うさんくさく感じてしまう。
「お前らはそもそもスキだからそういうことを言うんだろ?」という気持ちをぬぐいさることができない。
好戦的で、弱者をかえりみず、スパルタ式を好み、男性優位主義で、軍服やピストルそのものを愛するようなタイプ。
そういう奴にピストルを持たせたくはないとつい思う。
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というわけで、いまのところ世の中は、軍がスキで必要だと思っている人と、キライで不要だと思っている人に分裂している。
しかし、スキかキライかと、必要かどうかはざんねんがら別の議論である。
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