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横の人に語って満足する・・

こないだ飲みに行ったときに、議論が白熱した末になぜか

吉本隆明をどうとらえるか

みたいなことになったのだが、この吉本隆明とは「昭和の巨人」と呼ばれたあの詩人・思想家の吉本隆明氏である。

そのときに言ったことと同じなんだけど、自分としては彼を思想家として見ているという以上に、その「姿勢」みたいなところから影響を受けた。

「机の奥にしまっとけ」

具体的にどういう影響を受けたのかというと、たとえば以下のような言葉がある。出典がわからないのでうろ覚えだが吉本さんがかつて以下のようなことを言っていた。

自分の書いたものを世に問うてあれこれ言われるのがイヤなら、そんなモノは机の奥にでもしまっときゃいいんだ

と。

この場合、吉本氏の言っている「自分の書いたもの」とは小説などの創作物のことである。つまり、人に批評されて傷つく程度の作品は、しょせんその程度の作品なのだから、だれにもみせずにしまっとけ、みたいな意味だった。

胸の内にしまっとけ

ただし、ぼくはこれをもうちょっと拡大解釈してとらえている。今の時代はYouTubeでもnoteでもなんでもあるので、なにか言いたいことがあるなら

世間に向かって言え

ということ。逆にいえば、世間に向かって言えない程度の意見は、

胸の内にしまっとけ

ということでもある。

フルオープンの丸裸

なので、自分の考えたことで少しでも価値があると思うことで、他人のプライバシーにかかわらないことはだいたい全部このnoteに書いているのであーる。吉本氏の薫陶を受けて、こうしてnoteを書いておるわけであーる・・というのは真っ赤なウソでたまたまそうなっただけだ。

ただし、たまたまとはいえ、そうなっているのは事実なので議論をしていてめんどくさくなったときには、

言いたいことはここに書いてあるので、笑うなりバカにするなり勝手にしてくれ

みたいなことをいうことがある。どの程度バカか、どの程度イカれているか、フルオープンの丸裸だ。

横の人に語って満足する

それにしても世の中では、「自分の意見」を世間に問いもせず、かといって胸の内にしまいもしないパターンがおおい。どうするかというと

横の人に語って満足する

のである。ウクライナについてでも、仕事の仕方でも、生き方論でも、横の人間に聞かせる価値のある話なら他の人に聞かせてもよさそうなものだし、逆に、多くの人に聞かせる価値のない話をされたら、横の人間も迷惑である。

話は変わるけど

ぼくは高校時代から「死刑」というやつが気になって仕方がない。なので、このnoteでもたびたびその話をしているのだが、前置きが長くなったので(たぶん)明日書くと思います。

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