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最近、雅楽に興味を持っている・・

ビジュアルが余計だと思うとき

長いこと稲川淳二さんのライブに行ってないけど、よく行っていた当時1つ困っていたことがある。それは

目を閉じて聴きたいけど、それができない

ということだった。できないことはないけど、目をつぶっていると居眠りしているように誤解されそうで、ためらっていた。

実際、深夜から明け方におよぶオールナイトライブでは、寝落ちする人が続出する。そう思われるのがイヤなので、目を閉じることをためらっていた。

しかし、目を開けていると話に集中できない。稲川さんは、表情や身振り手振りでいろいろと演技してくれるだが、申し訳ないけど、そういった目から入ってくる情報は余分なものに感じていた。

寄席では目を閉じて聴く人がいるそうだが、同じことだと思う。

ライブに限らずDVDも同じで、稲川さんのビジュアルがあるとどうしても話に集中できない。なので、ぼくはDVDから音声だけを抜き出して、それをCDに焼いて聴く、というめんどくさいことをやって聴いていた。

稲川さんは元々は工業デザイナーであり、1996年にも通商産業省のグッドデザイン賞を受賞しているくらいだから絵を描くのもうまい。

そして、彼の怪談も目を閉じて聞いていると、独特の映像喚起力がある。これは稲川さん自身が「自分はビジュアルを思い浮かべてそれをしゃべっているので、聞いている人にも映像が浮かびやすいのだ」と言っていたのでまちがいない。

情報を遮断すると想像が膨らみやすくなる

稲川怪談に限らず、あえて情報を遮断することで想像が膨らみやすくなることは他にもあって、たとえば白黒映画がそうだ。カラーにくらべれば色の情報が抜けてしまうのだが、その分、想像が膨らみやすくなる。

そしてここから本題に入るけど、ぼくは割と最近

雅楽

に興味を持っているのである。きっかけは昨日も紹介したイギリスのアーティスト、ブライアン・イーノの

music for 陰陽師

というアルバムを聞いたことだった。

これはイーノと、雅楽演奏グループの伶楽舎(れいがくしゃ)による2枚組のコラボアルバムで1枚目が伶楽舎の演奏。2枚目がイーノの楽曲で構成されている。

この1枚目がじつによくて、今年の初めにCDを買ってからほとんど毎日聞いている。

ビジュアルが余計だと思う

ただし、イーノのアルバムを聴くまで雅楽などに興味を持ったことはなかった。このCDを聴くまでの雅楽に対するイメージは

・古臭そう
・難しそう
・ビートがない

である。

じつは昨年、雅楽を生で聞いたことがあったんだけどまるで惹かれなかった。鎌倉の鶴岡八幡宮に参拝したときに、境内のやぐらで結婚式をやっており、そこで雅楽が演奏されていたのだが、ぼくは

ふーん・・

と思って通り過ぎただけである。そのときの印象と、イーノのアルバムから受ける印象はまるでちがったのだが、一番のポイントは音ではなくビジュアルだったと思う。

鶴岡八幡宮で雅楽を演奏していた人々は古式ゆかしい装束に身を包んでおり、そのビジュアルを見ているだけで、音より先に

古臭い・・

という印象が生まれてしまっていた。その点イーノのアルバムは、こういうブルーメタリックのシャープなジャケットで

かっこいい!

そのうえ、夢枕獏氏の解説文にも

雅楽は宇宙を感じさせる・・

などと書いてあるので、その気になって聞いていると、たしかに幽玄なサウンドに宇宙を感じてしまいそうで、雅楽を再発見したような気分になったのだった。

ライブに行ってみたい

伶楽舎はよく雅楽コンサートをやっているようなので、ぜひライブにも行ってみたいと思っている。YouTubeには「伶楽舎雅楽コンサート」の動画もアップされており、たとえばこういったものがあるんだけど

聴いてもらえばわかるが、上にあげたイーノのアルバムと出だしのサウンドはほとんど同じだ。

けれども、もし僕がイーノのアルバムよりも先にこのビジュアルを目にしていたら、あんなに宇宙を感じなかったんじゃないかなーとも思えるのである。

「この装束で聞く雅楽がいいのだ」という人も多いのだろうが、なんか損しているような気もする。

せっかく幽玄なサウンドを奏でているんだから、伶楽舎のみなさんもイーノのジャケットみたいな装束で演奏したら、さぞ聴衆の感じ方も変わるのではないだろうか。いずれコンサートには行ってみるつもりなのだが、もしかすると目を閉じて聴くかもしれない。

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