見出し画像

ウラの世界はある

考え方のバランスをとるのは難しい。昨年、アメリカ大統領選挙の不正疑惑を通じて思い知らされた。不正を信じる側も、不正を信じない側も、ほとんどの議論は「信じる・信じない」の域を出なかった。「不正があったに決まっている」or 「そんなバカなことがあるわけがない」という結論ありきの水掛け論でしかなかった。

いまさかんに論じられているワクチンの効果とリスクについても同じことがいえる。医師の資格を持ちながら、陰謀論ありきの怪しげな告発を行っている人がいる一方で、それらを問答無用で全否定している人もいる。

ごく一部の科学者だけが「mRNAワクチンはすばらしい発見になるかもしれないが、長期的なリスクが生じる可能性もある。現時点ではまだわからない」としている。これが、一番バランスの取れた意見だろう。昨日紹介したユーチューバーの大津医師のように、最新のデータに基づき、先入見を排して、多方面から分析してくれる人もいる。

しかし、「バランスの取れた良心的な考え方」のできる科学者がもっと増えればそれで万事が解決するのかというと、それほどかんたんな話でもないと思うのだ。世の中には、オモテだけでなくウラがあるからである。

たとえば、アメリカには殺人の疑いで死刑判決を受け、38年間入獄したままのクーパーさんという黒人男性がいる。クーパーさんは冤罪(えんざい)の可能性が極めて高いが、DNA鑑定で有罪が確定している。当初捜査に当たった警官が、クーパーさんから採取した血をTシャツに付着させて偽証したとみられている。

このように、たった一人よこしまな警官がデータを改ざんすれば、残りの科学者がどれだけフェアな調査を行っても、男性を無罪にすることはできない。

科学はオセロゲームのようなもので、64個の石がすべてルール通りに動かなければ正しい結果は導かれない。この警官のように、たった1個の石がルールを無視してひっくりかえれば、盤面の情勢はひっくり返る。残り63個の石がルールに忠実であればあるほど、修正はむずかしくなる。

とはいえ、不正の立証はむずかしいし、疑いすぎれば陰謀論にハマる。にもかかわらず、「この世に不正などない」と考えるのも無理がある。性善説だけですべてを解決できるとかんがえるのは、あまりに見通しが甘い。

うわさレベルではない正しいウラ情報というものを探らなければならない。これは難しいことだが、人がそれほど高尚な生き物でないかぎり、さけて通ることができないことでもある。

ぼくにその力があるとは思えないが、そういう流れに身を置いてしまった以上、逃げることもできない。できるにしろできないにしろ、やっていくしかない。バランスを失わず、証拠にもとづいて、ウラを探るというスタンスで進み続けるしかない。

ウラ側というのは、そりゃあありますよ。いやだけど。。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?