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青二才なのかそれともジジイなのか

ぼくら現代人は、江戸時代でも鎌倉時代でも、だいたい全部、

大昔

ということで、ざっくりとまとめてしまうことがおおい。しかし、江戸時代の人々からすれば、鎌倉時代というのは500年以上前のはるかな昔だし、そもそも江戸時代だって250年以上続いたわけだから、幕末のころの人々から見れば、徳川家康というのははるか大昔の人だったといえる。

一口で「昔」といっても、いろいろとあるのである。

ぼくは現在50代で、自分が昔の人なのか今の人なのかわからず、困ることが多い。2つ年上のキングカズがいまだに現役なのも事態をややこしくしている。

ジャズ喫茶の時代

むかしむかし、ジャズ喫茶という喫茶店が流行った時代があった。ジャズ喫茶というのは、何千枚ものジャズレコードを備え、それをいいオーディオ装置で聴かせることを売りにした喫茶店である。

・・などと知った風にに書いているけど、ほんとうのところはわからない。ジャズ喫茶が本格的に流行ったのは「学生紛争」のころで、ぼくが生まれる前の時期だったからだ。

さて、そんなぼく自身が本格的にジャズを聴き始めたのは1980年代の終わりの頃のことで、いまから30数年前のことである。十年一昔というくらいだから、これでも十分に昔だといえるが、そのころすでにジャズ喫茶は、絶滅危惧種だった。

そして、そのころ「ジャズ喫茶のオヤジ本ブーム」というのが盛り上がったのだった。それまでジャズ批評をやっていたのは、もっぱら

ジャズ評論家

と呼ばれる人々だったのだが、80年代の終わりころになると、ジャズ喫茶の店主という玄人と素人の中間みたいな人々がジャズに関する本をつぎつぎに出版して好評を博した。そして、ぼくはそういうジャズ喫茶の店主本がきっかけでジャズの世界に入っていったのだった。

オヤジ本ブームの双璧

当時の「ジャズ喫茶のオヤジ本ブーム」で双璧といわれていたのが、吉祥寺のジャズ喫茶「メグ」の店主だった寺島靖国氏と、四谷の「いーぐる」の店主の後藤雅洋であり、現在寺島氏が85歳、後藤氏が75歳でおふたりともますますご活躍のご様子である。

双璧というのは傾向が全く異なっていたからで、寺島氏と後藤氏では、おなじジャズでも、スタンスが180度異なる。全日本プロレスと新日本プロレスくらい異なっており、寺島氏がジャイアント馬場だとすれば、後藤氏はアントニオ猪木であり、おなじリングにあがることの不可能な二人だった。

寺島氏が名盤と称するものは、後藤氏にとっては駄作であり、後藤氏が名盤にあげるものは、寺島氏にとっては駄作だった。

したがって、当時、「ジャズ喫茶のオヤジ本」を手に取ってジャズの世界に入った若者でも、最初に寺島さんの本を手に取ったか、後藤さんの本を手に取ったかで、その後の運命はずいぶん異なる。ぼくは幸か不幸か、後藤雅洋氏の記念碑的名著

『ジャズ・オブ・パラダイス』

から入ったので、完全なストロングスタイルのジャズ好きに成長した。

最初から「後藤流」を丸のみにしジャズを聞いているので、骨の髄まで

チャーリー・パーカー原理主義者

といっていい。なお「後藤教」の主な教義は、

・ジャズは黒人
・ジャズはアドリブ
・ジャズは厳しい

といったところだが、一方の「寺島教」の主な教義は

・ジャズは白人
・ジャズはメロディ
・ジャズは女性ボーカル

である。静と動というか、剛と柔というか、水と油なのである。

寺島氏はたしか「チャーリー・パーカーは音が汚くてうるさい」と毛嫌いしていたと思うが、これはイスラム国兵士の前で「ムハンマドは汚くてうるさい」と言っているのに近い。

まだまだ青二才

しかし、である。ぼくがのちに東京に出てきてどちらのジャズ喫茶を訪ねていったのかというと、じつは、寺島氏の吉祥寺「メグ」なのである。

後藤氏の四谷「いーぐる」に行かなかったのは、原理主義者が集まっていそうで、きびしそうで、敷居が高くて怖いからだ。イスラム国に入国するのをためらってしまうのとだいたい同じ理由である。

吉祥寺「メグ」ですら、入店にはそうとうに勇気が必要で、はじめてニューヨークの「ヴィレッジヴァンガード」という超有名なライブハウスに足を踏み入れた時の10倍は緊張した。

ちなみに、その日ヴィレッジヴァンガードでは、トミー・フラナガンというこれまた歴史的なピアニストが前日にライブレコーディングを終えたばかりで、その演奏はCDとして発売されているのだが、ぼくは本物の「トミフラ」が、

今日はリラックスして弾けるね

などと目の前で言っていたのを聞いているのだが、それよりも「メグ」に入るほうが10倍緊張したのである。なんでだろう??

そういうわけなので四谷「いーぐる」はおそれおおくて今だに行ったことがないんだけど、お店はいまでもやっているそうだ。今日「趣味の」ネットサーフィンをやっていたら偶然サイトをみつけてしまった。

お店の看板に「since 1967」と書かれているように、創業56年である。1967年にはまだ僕は生まれていなかったので、この看板を見るだけでやはり

自分は青二才だな

と思う。しょせんぼくのジャズは

since 1989

なのだと感じる。しかし、たとえsince 1989だとしても創業34年の計算にはなるわけで『ジャズ・オブ・パラダイス』の出版当時は、「いーぐる」もまだ創業22年だったのだから、そう考えれば34年も結構な大昔ではある。

すでにジジイ

ところで、こないだFMラジオのジャズ番組を聞いていたら、ゲストとしてどこかの美大のジャズ研究会所属の19歳くらいの若者が出てきて、

今週の1曲

みたいな感じで、ベニー・グリーンの1950年代の演奏を「聞きやすいのでおすすめです」みたいな感じでおすすめしていた。

19歳の若者にベニー・グリーンをおすすめされてしまうと、ぼくは自分がジジイになったかのように感じるのだが、一方で75歳のジャズ喫茶歴56年の後藤氏のブログを読んでいると、やっぱり自分は青二才だとかんじる。なんだか遠近感が狂うのである。

まだまだ青二才

このことは、ほかの「趣味」にもあてはまる。たとえばオーディオ。

ジャズ喫茶というのはジャズをいい音で聴かせる喫茶店なので贅沢なオーディオ装置もウリの1つだ。

上記のHPによると、「いーぐる」のスピーカーはJBLの4344 MarkⅡだそうである。4344マーク2にまつわる情報を、これまた「趣味の」ネットサーフィンで調べていると、創業50年を迎えたオーディオ専門店のブログがヒットした。

この店主によれば、4344はアンプ選びが非常に重要なのだそうである。

レビンソンやクラウンで締め上げる方法や、マッキンや管球式で朗々と響かせる方法など様々あり、使い手によって全く違うキャラクターの音になります(中略)。思いっきり鳴らし込まれている方は総じて、バイアンプやマルチアンプでドライブされている場合が多いですね。

ちなみにレビンソンというのは「マークレビンソン」というバカ高いアンプメーカーなのだが、

レビンソンやクラウンで締め上げる

などと創業50年のオーディオ専門店主にさりげなく言われてしまうと、ぼくはやっぱり自分が青二才だと感じる。

「趣味はオーディオです」などと言えるのはレビンソンで4344を締めあげているような人たちであって、ケンウッドにデノンをつないで満足している自分はしょせん雑魚にすぎず、趣味などとはとても言えない。

すでにジジイ

一方でいまではPCオーディオが花盛りだ。そして、YouTubeには20代くらいで音にうるさそうな若いオーディオマニアが、PCオーディオの動画をバンバンアップしている。

ああいうのを見ていると、自分はジジイになったかのように感じ、自分がジジイなのか青二才なのかわからず、遠近感が狂ってしまう。どうにも中途半端な自分を感じるのだが、この半端な感じの正体は年齢ではなくてどれだけ魂を入れているかによるのだろう。

ぼくはジャズにもオーディオにもあまり魂を入れてこなかったので、魂を入れてジャズやオーディオにはげんでいる年配者を見ると、自分は青二才だとおもい、入魂している若者を見ると自分はりジジイだとおもったりしつつ、たじろいでしまうのだろう。

ところで、ぼくが勇気を振り絞って足を踏みいれた吉祥寺の「メグ」は、2018年におしまれつつ閉店したそうである。

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