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お祭り騒ぎとは承認欲求だとおもう

以前にも書いたことがあるけど、ぼくはお祭り騒ぎが割と苦手である。

こどものころはそうでもなかったけど、長じるにつれてだんだんこうなってきた。「子供のころモチまきに行って、エキサイトするオトナに足を踏んづけられて幻滅した」などという体験を書いたことがあるが、そういったことの積み重ねの結果だろう。

だが、その後いろいろ考えているうちに、お祭り騒ぎというのはけっきょくは承認欲求なのではないかという考えに落ち着いてきたのでそれについて書いてみたい。

具体例として、まだお祭り騒ぎになっていないけどそのうちなるかもしれない動きをとりあげてみる。

見出しのとおりの記事である。アップルとグーグルに性的写真を撮れないスマホを作ってほしいという運動が起こっている。

自撮りにしろ、盗撮にしろ、スマホで撮った性的な画像は、いったんインターネット上に掲載されてしまうと、完全に消すことはむずかしい(中略)。NPO法人「ポルノ被害と性暴力を考える会」(ぱっぷす)は、圧倒的なシェアを占めるアップルとグーグルに対して、スマホの標準機能として、性的な画像を撮影させない人工知能(AI)を搭載することを要望しようとしている。

「性被害をなくすためにあらゆるスマホの撮影機能を一律に制限すべき」という主張である。技術的には可能とみられる。そのためのキャンペーン広告費をあつめるクラウドファンディングを立ち上げたそうだ。

あわてないでほしいのだが、実際に規制の議論が進んでいるわけではない。主催者は、「こういうことで困っている人がいる」という声を上げ始めた段階で、これから社会的な認知を得ようとしているところだ。

「困ってます」と言うだけでは声が届かないので、クラウドファンディングという手段に出たのだろう。そうすることでニュースとしての価値が出て、ぼくの目にも止まったわけである

こういうキャンペーンをなんども繰り返していけば認知度はじわじわと上がっていくだろう。だが、今のところ世間の注目はほとんど集まっていない。

しかし、巨大IT企業による規制、しかも性犯罪が絡んでいるので、ひとたび着火すれば、一気に燃え広がる可能性を秘めたネタである。不謹慎な言いかただが、将来有望株みたいなものである。着火していないが、燃料は満タンだ。

しかし、今日は、スマホカメラの規制の是非という問題について考えたいわけではなく、わかりやすいのでこの問題を取り上げただけだ。

この問題は:

被害をうけたことがあるか、受けることを危惧する人の感情をあおる要素がある。

逆に「規制などけしからん。AVに出るやつがバカなのだ」などという人の反発心をあおる要素もある。

感情的に衝突する人が増えればより大きな運動になり、認知度が高まれば、その分、賛成する人も反対する人もさらに増えていく。

それがある臨界点を越えると、この問題についてこれまで無関心だった人たちがいっせいに「賛成」「反対」を熱く語り始める。「この技術が導入されれば私は作家を辞める」などどいう人も出てくるかもしれない。

繰り返すが、今の段階では現実的な問題ではない。だから、僕のスタンスも「いろんな意見があっていい」というところだ。

カメラについての意見を言いたいわけではなくて、一般に議論が盛り上がってくると、それに対して意見を言いたい人が増えるのはなぜか、ということを書きたいんだけど、これは、たぶん承認欲求だと思う。

議論が盛り上がるというのは、お祭り騒ぎになってくるということだ。そうなるとたくさんの人が集まる。

たくさんの人が集まったところで意見を言いたくなるのは「おーい!オレも、私も、ここにいるぞ!」と自分の存在を主張したくなるからだとおもう。承認欲求が発動するわけである。

承認欲求そのものは本能みたいなものだから仕方がないが、だれかの意見に耳を傾けるときには、その人がほんとうの問題意識で語っているのか、雰囲気に流されているだけなのかをよく見ておくほうがいい。

本当にスマホのカメラについて語りたいのか、それとも、一見もっともらしく語ってはいるが、ほんとうは大統領選挙でもスマホでもなんでもよくて、人の集まっているところで自己アピールしたいだけなのか。

承認欲求に突き動かされている人は、そのことに自分で気づいていない。本人はスマホを語っているつもりだが、本当は自己アピールしたいだけだ。

そういう簡単なことに気づけないということは、自己認識が浅いということである。しかし、表面的な頭の良さはあるのでもっともらしい理屈をこねる。しかし、とどのつまりは「オレオレ」と言っているだけの無責任な考えだ。そういう意見にバカ正直に振り回されるのはつまらないのである。

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