見出し画像

美しいとはどういうことか

長年映画を見続けてきて、確信していることがある。真剣な表情をしている女性はみな美しいということ。美人とそれほどでもない人の差なんかわずかなものだ。

ところで、以前ウェブ記事で、「こうみく」という女性ブロガーさん書いたものを読んだことがある。彼女はかつて石原さとみさんの容姿に強烈なコンプレックスを抱いていたのだそうだ。

ところで、彼女にはアフリカ人の友人がおり(男性)、この人には「アジア人と欧米人の区別がつかない」のだという。

そこで、ためしに自分の写真と石原さとみの写真を見せて「どっちがカワイイ?」と聞いてみたところ、この男性は3分ほど真剣に吟味した挙句、申し訳なさそうにこう答えた。

正直に言うと(中略)違いが、俺にはあまりわからない。だから、どちらの方がカワイイすらも、わからない。すごく似ているとしか思えない。

眼の大きさがぜんぜん違うでしょ、と食い下がると

眼であれば、俺が、いちばんデカい。

と言われたそうだ。

アフリカ人から見れば、アジア人の顔のちがいなんかわからないのである。ぼくから見れば、ナイジェリア代表のサッカー選手は全員同じに見えるが、これと同じことだろう。

ところで、ちょっと話がそれるんだけど、ぼくにいわせれば、むしろ「石原さとみコンプレックス」で10年間にわたって苦しんでいたという女性の心理のほうが怖い。

この人だけではない。多くの女性がこうなのだということを知っているから怖い。そしてこの容姿コンプレックスが、ときには性格をゆがませてしまうほど深い闇になることを知っているから怖いのである。

男性から見れば大した差じゃない、などと言ってもなんのなぐさめにもならない。あくまで自己満足の世界なのだから。

ただし、最近では「デカ目」にするアプリというのが出回っており、あれを使うと、すべての女性がしあわせになれる。

理想の美

こんな風に理想の美を演出できるわけである。

この手のデカ目写真はインスタグラムにあふれており、そして本人がそれでいいと思っているのだからそれでいいのだろう。あえてぼくがどう感じているかを書く必要はない。

ただし、一言だけ言わせてもらうなら、晩年のマイケル・ジャクソンを彷彿とするとだけ書いておこう。

スーパースター

誤解しないでほしいのだが、べつに気持ち悪いといっているわけではない。デカ目写真を見ると「スーパースターの晩年のすがたが脳裏に浮かぶ」といってるだけである。

ただし、ぼくも元美術部員なので、かつて美についてはいろいろ考えた。そして、古代ギリシャ人が喝破していたごとく

美とはバランス

だという意見を抱いている。

けれども、よくよく考えてみると、これもまちがいだったのかもしれないのである。なぜなら古代ギリシャは男性優位社会だったからだ。「美とはバランス」というのは男性による偏見にすぎなかったのかもしれない。

もし古代ギリシャが女性優位社会だったならば、

美とは目がクソデカいこと

という定義が生まれていたのかもしれないのだ。

ところで話は変わるが、宇宙人は、じつは「未来の地球人」なのだという説がある。

目のクソデカい宇宙人たち

これから地球に女性優位社会が訪れるのだとすれば、人類がこの方向へ向けて進化していく可能性は十分にある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?