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起こることは起こる

さて、最近Twitterでもnoteでも、政治や経済についてよくコメントしているんだけど、じつは政治や経済にそれほど興味はない。だから感情的に入れ込んではおらず、スカッとしたり、ムカッとしたりもしていない。社会と歴史がどのように動くのか、その法則のうごきをかたずをのんで見守っている。

できれば争いごとが起こらないでほしいとは思うが、願ったからどうなるというものではない。起こることは起こる。

「かたずをのんで見守っている」といってもバイデンやトランプに手に汗を握っているのではない。そんなのはどっちに転んでも同じである。「ほんとうに未来はレールに乗って進むしかないのか」という1点だけを見ている。ため込んだ怨念は暴力となってふき出す以外に道がないのか?ほかに道はないのだろうか。。。。。。ないのだろうなあ。

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かの国にかぎったことではない、ぼくもあなたも、菅政権も東アジアもおなじだ。今後数年以内に「菅さんがコレコレこういうことをする」と想定しているとしよう。それが起こってしまうのかどうかをかたずをのんで見守っている。いまのところ、起こることは起こるのだと思うほかない。

最近世界で流行っている病気でも同じだ。起こることは起こる。罹りたくはないし、罹った人は気の毒だとおもうけれども、「ほんとうに一本道しかないのか」という点だけを見ている。こんなことをいうとヒトデナシみたいに思われるだろうが、世界を動かす法則はぼくが作ったわけではない。

その法則をなんとか理解しようとしてムリにがんばっている一庶民にすぎない。そのために多くを犠牲にして進んできた。最終的には良きことが起こるよう願ってはいるけれども、起こることは起こる。そして、現時点では、ざんねんながら想定された一本道をたどっていると思うほかない。

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党派に入れ込んだり、巨悪への義憤に駆られるのも怨念である。いまのところ人間はそうした怨念を暴力以外で解消する手段を持たない。エラそうに言ったってぼくもおなじだ。スポーツや笑いで解消できるほど根の浅いものではない。さいわい人の怒りや不安をあおってメシを食う立場にはないので、今はしずかに見守るだけだ。正直に言うなら、ややあきらめつつ見守っている。

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