考えが「浅い」とか「深い」などと...
考えが「浅い」とか「深い」などとよく言われる。
まるで、こころという池があって、底が浅かったり深かったりするようなイメージだ。
ホントにそうなのか?
考えは単体として存在するのだろうか。
むしろ、複数のアイデアがさまざまな方向につながっている状態が、俗に言う「深い」のではないのか。
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分子や原子を思い浮かべればわかる。
たとえばペットボトルの原料になっているPETと呼ばれる物質。
あれは原子が1万個以上むすびついた高分子ポリマーと呼ばれる素材だ。
でも元をたどれば、水素(H)と炭素(C)と酸素(O)でしかない。
アイデアもこれと似たようなもので、ひとつひとつはたわいもないけど、他の考えと立体的に結びついたときに、「深い」と呼ばれるようなものになるのだと思う。
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このnote用のアイデアは、思いつくたびにnoteのタイトルに直接書き込んで「下書き保存」している。
今、みかえしてみるとそれが41個ある。
そのうちのいくつかは終わりまで書いている。
でも、「イマイチだな~」と思っているので公開していない(むちゃくちゃ忙しい日には出すと思います)。
41個の考えがあっても41記事できるわけではなくて、最終的には3分の1くらいになるだろう。
つまり1記事のために、分子記事が3つくらい結合するわけだ。
また、今日の記事と昨日の記事とおとといの記事はいっけん関係ないようだがボクという一人のアタマの中ではつながっている。
それがちがう形に離合集散してべつの記事になって現れてくることもある。
そういうことがあるから、アイデアの表面だけをマネしても意味がないと言われるのだろう。
考えというのは、もともとため込んであったものをおもむろに取り出しているわけではなくて、あっちとくっつけたりこっちを切っはなしたりして、今この瞬間にできあがっているのだと思う。
書き終わってから「ふーん、そうなのか?」などと思いながら読みかえすことがよくある。
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