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スマホは、「買う」人と「機種変更する」人がいる

こまかいことを言うようだがスマホの「機種変更」という言葉に違和感がある。なぜかというと、パソコンには「パソ変更」などという言葉はないからだ。パソコンは新しいのを

欲しい

とおもった時に買う。変更するのではなくてほしいときにお金を出して買う。

「機種変更する」という人だってじっさいには結構なお金を払って買っているわけだが、長年キャリアを使っていると、モノを買うというより契約にくっついてくるという意識なのだろう。

クルマの乗り換えみたいなものかな。。。

クルマだって「買う」人と、「乗り換える」人がいて、決して安い買い物ではないが、ディーラーやキャリアショップとの関係性の中でなんとなーく

そろそろ乗り換えましょう。切り替えましょう

という風にノセられやすい。

その点、格安SIMをつかっているとそういう意識がなく、前回の機種はバッテリーを取り換えて7年使った。

機種変更する人は「仕方がない」感じがあるのだろうが、その仕方のない感じは「高校の制服が高いけど仕方がない」感じと似ている。

制服は買いたくて買うというより卒業証書とセットになっているので買わざるを得ない。学校で買わされるものはみんなそうで、教科書も、体操服もカバンも「買わされる」。

ちなみに、ぼくは「教科書に戻りたがる」タイプである。

高校時代に使っていた山川出版の「詳説 日本史」という教科書をいまだにテレビのわきに置いており、ドキュメンタリー番組などを見ていて時代のながれがわからないときにちょこちょこ開く。

ただし、高校時代の本なので限界はあって、最後のページは中曽根政権で終わっている。「平成」も「インターネット」も「オウム真理教」も存在しない世界だ。

それでも長年使っていると、ページのレイアウトや紙のクセなどがなじんで、五感で頭に入ってくるのがいい感じだ。

ぼくが教科書をありがたがるのは、買わされた感、勉強させられる感をぬぐいさりたい気持ちも強い。教科書を買わされたと思うから厄介者みたいに感じるのだと思っている。

というわけで、いまほしいのが地図帳だ。ニュースで「昨日未明、南スーダンで・・」などといわれたばあいに南スーダンの場所がわからない。いまはグーグルマップを使っているが、あれをスクロールするより紙の本をめくっているほうが頭に入る感じがするので買いなおしたい。

アマゾンでも買えるのだが、毎年新しいのが発行されているらしく、クリスマスに出るので10月11月12月の3か月はグーグルマップで間に合わせようと思っている。

「詳説 日本史」は中曽根政権を気にせず使っているのに、地図帳は最新版を待っているのが自分でもおかしいが、ぼくにとって道具とは

いいものを買って長く使う

という発想だ。地図帳はこんど買ったら一生買い替えないと思うので3か月は待てる。そして来年以降、国境線が書き変わったら自分で書き直す。

このあたりの使い込み度は性格によってそれぞれだろうが、ぼくは道具に使われたくないので、自分のタイミングで買いたい。

今使っているスマホは簡単にバッテリーを変えられないので、そのあたりが使われている感じでちょっとイヤである。パーツを交換して長く使うことを前提に作られたFairphoneというのがあるらしいので、次はこれにしようと思っている。


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