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これから「遊び」はどういう風になるのか
いまもし時間がたっぷりあったらやりたい遊びがいくつかある。
ひとつは電子工作だ。実家においてあるオーディオアンプの調子が悪いので部品を取り換えて遊んでみたい。どういう風に音がよくなるのか、あれこれ試してみたい。
すぐやればいいと思われそうだが、電子回路の知識がとぼしいので、まずはそこの勉強から初めなければならない・・などといいつつ延ばし延ばしになっている。
もうひとつは、バッティングである。
バットを一本買って、毎日素振りを繰り返す。
そして、週一でバッティングセンターに通うのだ。
YouTubeのバッティング動画を参考にしつつ、フォームを固めて、まあまあ打てるようになったら、どこかの草野球チームに入れてもらって代打で出るとか。どっちも始めればすぐなのだが、やってない。
代わりに何をやっているかというと、あれこれ本を読んだりして、ここになんやかんやと書いているわけで、これも「遊び」である。
さて、そんなぼくがいま一番気になっているのは、これからの時代に「遊び」はどうなっていくのだろう?ということである。
今後はAIやロボットがますます発達していくはずで、そうなると、これまで「仕事」とされてきた労働の多くは機械にとってかわられるだろう。そうなると、遊びを仕事にする以外に人間にはやることがなくなる。
今でもゲーム配信を仕事にしている人はたくさんいるし、STEPN(ステプン)のように歩くことがお金になるゲームも出てきた。そういう未来が開けつつあるように見える一方で、暗然とした未来も見える。
今年は大きな戦争があったが、これからもあるだろうし、伝染病がまた広がるかもしれない。そして、今後数年以内に世界の経済に大きな動きがあるのはどうやら確実に思われれる。
気候変動もはげしくなるだろうし、食糧難も起こるだろう。つまり、人間が逃げ場を失っていよいよ追い込まれていく未来も見えるわけで、こうなれば遊びどころではない。
その2つの未来の間で、遊びがどうなるのやらさっぱりわからないというのが正直なところです。
ただし、遊びと娯楽はちがう。
GHQが日本を占領統治するにあたって3Sという娯楽政策をとったそうである。3Sとは「Screen-スクリーン、Sport-スポーツ、Sex-セックス」の略称だ。
この政策により、日本では性風俗が開放され、映画やエンターテインメントが興隆し、プロ野球が国民的娯楽となった。(中略)それらに目を向けさせることにより、民衆が感じている社会生活上の様々な不安や、政治への関心を逸らさせて大衆を自由に思うがままに操作し得るとされる。
個人的には、1960~70年代に某国C〇Aがここにもう1つ追加して「4S政策」が行われるようになったと考えている。それがSpiritual(スピリチュアル)である。
そうすると、この先、世間がやや厳しめの状況になった時にガス抜きみたいなスピ系が流行るのかもしれない。
しかし、人のことは言えない。ぼく自身、「007」を見ている時間があるわけだから、がっちりスクリーンに操られている。外へ出てバットを振ったほうがいい。
しかし、マイバットをもってバッティングセンターに行って空振りするとクソ恥ずかしいので、とりあえず振るだけならホームセンターのやつでいいかな。
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