10代は〇〇の地獄

さっきボーっとしていると吉本隆明さんの言葉が浮かんできた。

十代は性の地獄である。

というのがそれだ。正確な表現はやや異なっていると思う。たしか名言集のような本で読んだ気がするので、原典がわからない。

ただし「十代」と「地獄」と、この2つのコトバが使われていたのは間違いないと思う。

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この一節は、20代のころのぼくにとって2つの意味で心に響いた。

一つめは、だれもが通る道について思想家が真っ向から答えてくれたという点。

もう一つは、詩人の表現になっているぶん救われたという部分である。

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10代でクルマの免許を取ってすぐ、つまらない違反や事故を起こす人は多い。でもたいていは「あのときはアブナかったな」で終わる。

しかしそれが死亡事故にむすびつくと一生背負い続けることになる。

その境目はけっこうわずかなのではないか。

性も同じで、10代や20代ならぼくもオフサイドに近い動きをしたことはあった。しかし大したことにもならず、今では思い出になっている。

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ぼくが50代に入ってわかるのは、年齢とともに物理的な地獄度が下がってくるというのは、それほどないということ。もちろん多少はある。しかし、それ以上に大きいのは、死が近づいてくるということだ。

自分の死がリアルに近づいてくるにつれて、いろんなことを思ったり、処分したり、あきらめたりしはじめる。その行動の一環として性についてもあきらめるようになる。

これは性欲がなくなることとは異なっている。

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50代で問題を起こした人は、そういう意味ではまだあきらめていなったのだろう。「あわよくば」と思っていなければ、オフサイドで動いてしまうこともない。

ぼくも数年前までならあきらめていなかった。でもあるとき「もうあきらめた」とはっきり思った。以後は、「あわよくば」という発想が浮かんでこない。

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自転車のサドルを何百個も盗んだとか、勤務先の学校で女子更衣室を盗撮したとかいう罪で全国に報道されている人を見ると「この人は今でも地獄の真っただ中にいるんだな」と思う。

"地獄"というコトバが浮かんでくると、自分がどれほどあの一節から影響を受けているのかをあらためて思いだす。

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