あほの認定証明書
このnoteではまいにちいろんなことを書いている。
しかし、世間を見ていると、そんなにいろいろ書く必要はないんじゃないかなあと思えてきた。
「世間」といっても、あまりにばくぜんとしていて具体的にだれを想定したらいいのかわからない。
しかし、ぼくがこれまでイメージしていた読者は、ちょっと理解力のありすぎる人だったのかもしれない。
もしかすると、読んでくれた人のほとんどを置いてきぼりにしていたかもしれない。
まあ、「目線を下げる」というと失礼な言い方になるんだけど。。。
でも、たった一つのことだけを毎日言い続けたほうがいいんじゃないかな~と思えてきた。
***
そのたった一つのこととは、
「人間は身びいきする生き物だ」
ということだ。
にんげんは、どうしても「自分」または「身内」にたいして感情のバイアスがかかってしまい、状況をフラットにとらえることができない。
人とはそういう生き物である。
80億人ぜんいんがそうである。
例外はない。
だからこそ、たえずそのことを頭のかたすみに置いておかなければならない。
***
だれでも自分はだいじである。
だれもが、
自分の家系に誇りを持ったり、
生まれ故郷に誇りを持ったり、
自民族に誇りを持ったりしたい。
これは80億人ぜんいんがそうなのである。
80億人ぜんいんが「われこそは~!」と言いたいのである。
「わたし(たち)だけは特別だ!」と言いたいひとが80億人いるということである。
「わが〇〇民族は優秀なり!」と言いたい人が80億人いるわけだ。
逆にいえば、「わたし(たち)だけは特別だ!」と言っているひとが、一番の平凡パンチだということである。
自分たちの特別感を強調する人 = 一番特別でないひと=一番ありふれた人だということである。
「わたし(たち)はかしこい!」と言っている人が、人類のおかれたこの普遍的状況をいちばん客観視できていない。
いいかえると、すこしミソが足りない。
簡単に言うと、あほだということだ。
自分はかしこいと言っている人がじつは一番アホである。
これもこの世のパラドックスだ。
***
つまり「ヤマトミンゾクこそが優れている!」というだけで、(こいつ知恵の回りがおそいんやなあ~おぼえとこ)と相手に思い知らすことができるのだ。
おそろしい最終兵器である。
「わが〇〇族は優秀なり!」はアホの認定資格証明書である。
ヤマト民族も、モヒカン族も、暴走族も、「おれたちサイコー!」といった時点で、この最終兵器を発動している。
すばらしい。
人類みなDQN。
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