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金返せ…

モザイクやらぼかしやらといえば、最近はもっぱら個人情報保護である。テレビのロケ番組では、タレントさん以外のすべてにボカシがかかり、ロケをしている意味がないように見えるときがある。

一方、昭和のマンガ雑誌には、「ファンレターの宛先」に漫画家さんの住所が明記されていたわけで、個人情報保護とは無縁の時代だった。

しかし、ボカシから無縁な時代だったわけではない。当時、ボカシは外国映画のアンダーヘアを隠すために多用されていた。これは映画好きにとっては、たまらん問題であった。

外国映画といってもほとんどは、明るい安村さんのようにポーズを工夫し、さりげなくシーツをかけるなどしてR指定解除にはげんでいたので問題はなかった。

しかし、ゲージツ映画ほど、わざわざむきだしにする。「古代ギリシア彫刻となにがちがうのか?」と。わいせつ扱いへの抵抗そのものがゲージツ活動だという風に見えた。

おかげで、見る側はずいぶん苦労した。映画によっては、多数のボカシが画面を蛍のように乱舞し、なにが映っているのかわからなくなる。

DVDが登場する以前にはレーザーディスク(LD)というものがあり、1作品が8000円~1万円くらいして決して安くなかった。そのころ、思い切って買った映画がボカシの狂喜乱舞に見舞われて泣いたことがある。

ジャン=ジャック・ベネックス監督の『ベティ・ブルー』だ。米アカデミー賞にもノミネートされている。売れない作家とそのガールフレンドが、海辺のコテージでほぼ裸体で生活するシーンがあるのだが、それがまるまるボカシの狂喜乱舞になっており、見て泣いた。「金返せ」と本気で思った。

ためしにWikipediaの「映画倫理機構」という項目を見ると、2008年、最高裁でわいせつ基準が緩和されている。

2008年(平成20年)に出されたメイプルソープ事件の最高裁判決によりわいせつ基準が緩和・・・(中略)男性器が描写されている例としては、ジャッカスやベティブルー等の作品があげられる。

ぼくの嘆きは、裁判所の認めるところとなっていたわけだが、こうしてみると、「あのときは結構な目に合わされたんだなあ」とあらためて思う。

なぜボカシの話になったかというと、先日書いた「帽子の話」である。「あれは結局、ボカシみたいなもんだよな~」と思ったんだけど、さかのぼって考えていくと、結局アダムとイブの裸体を隠したイチジクの葉に行きつく。

あるアマゾンレビューによれば、「ベネックス監督はベティブルーの日本の劇場公開の際に、かなり交渉をねばった」そうだが叶わなかった。そしてこの映画自体は「恋愛映画の最高峰だが、日本公開バージョンには映画的価値はない」のだそうである。

ベネックス監督がギリシャ的だとすれば、映倫はヘブライ的だったともいえるわけで、ぼくはヨーロッパ文明の二大源流の葛藤に泣かされたわけである。

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