「集中する」とはどういうことか
集中状態には2種類あると思う。専門的なことはわからないが、ぼく個人の体験からかんがえてまちがいない。ここではかりに「簡単な集中」と「高度な集中」と呼んでおこう。
「簡単な集中」とは、たとえばテレビを数時間にわたって見つづけているような状態である。パチンコ店の大音量の中で5時間も6時間もパチンコを打ち続けている状態もそれだ。他のことに気が散っていないのではた目には集中しているように見えるが、こういうのはたいした集中ではない。
一方「高度な集中」とは、将棋の棋士が盤面を読んでいるような状態だ。あれを1時間も続けたら疲労困憊する。棋士の例は極端すぎるとしても、この状態を味わってみたければ暗算をやるといい。いまNHKのウェブサイトに9月7日の都道府県別全国感染者数の表がある。
この数字を北海道から沖縄まで暗算で足し合わせていく。あるいは東北・関東・中部・関西と別々に足し合わせて記憶しておき、あとで合算して10605人になるかどうか。これを5時間もやりつづければ棋士が盤面を読んでいる状態にやや近くなるだろう。想像するだけでわかるがパチンコを5時間打つのとはわけがちがう。数十分で疲労困憊するし、横の人が「5 9 3 4 6 1・・」とランダムに数字をとなえるだけで集中は途切れるはずだ。
さて、ぼく自身は、どちらの集中状態にも縁があって「簡単な集中」は、映画を観ているときがそれである。
先日、Primeビデオで『グリーンブック』という映画を観たが2時間9分あった。ストリーミングは映画館と違って簡単に中座できるのでノンストップで2時間みつづけることはめったにない。数年に1回あるかないかである。しかしこの映画は一気に見てしまった。作品のすばらしさを伝えるのにこれ以上の言葉はいらないだろう。
2時間みじろぎもせずに見続けるのは1種の集中状態にあるとはいえるが、暗算をしているような状態ではない。
一方で、翻訳作業をやっているときは高度な集中状態にある。ずーっと暗算をしている感じではないが数分に1回ずつ集中状態に入る。日本語にうまく置き換わらない英文をなんどか口の中で唱えて、すこしずつ抽象的な意味の塊に変えていく。そして、意味の塊からそれに見合った日本語を引き出していく。1文が長ければ長いほどこの集中は長引き、ちょっとしたことで気がそれる。そして暗算に失敗したような感じになるのである。
『グリーンブック』を2時間集みつづけてもまったく疲れないが、この集中を20分もつづけると休憩しなければ持たない。脳波がどうというようなことはわからないけど、まったく異なる頭の使い方をしているのはまちがいない。
ところで、ぼくはAMラジオを大音量でかけ流す人とはそりが合わないんだけど、これまではただ「合わない」というだけで理由はわからなかった。しかしいまなんとなーくわかってきた感じがしている。
AMラジオのノイジーな音は、整理整頓したアタマの中を散らかすような音なのだ。つまり気が散るわけだが、そういう音をずーっと聞き続けられるということは、ひごろ高度な集中をやっていないということだろう。高度な集中がエライわけではないが難易度が高いのは事実で、それと縁がない人に「気が散るからやめてくれ」と説明しても理解してもらうことはできない。
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