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だまっている人の発言はいつでも歓迎だ

飲み会に行って一人でぽつんとしている人がいたら気になって仕方がない。おせっかいなのだがなんとかしたい。ただし、こっちはこっちで盛り上がって必死になってしまうと手が回らないことがある。目の端で「あとであの人に話しかけよう」と思いつつそのままになってしまう。

ZOOMやチャットでも似たような感じになることがある。発言する人とだまっている人にわかれてしまうのだ。もちろん、しゃべりたいひとはしゃべり、だまっていたい人はだまっていられる状態が理想だ。しかし発言したいのにきっかけがつかめないという人もおり、ぼくはそういうのは気になるタチなのである。

他人から見れば、なにも考えずに好きなようにしゃべくっているように見えるかもしれないが、ぼく自身はかなりまわりを観察している。教師が授業をやっているのと同じかもしれない。

教師はウダウダとしゃべっているように見えても「ここをもう少し掘ったほうがおもしろい」とか「話題がかたよりすぎたのでサイドチェンジしよう」とか「発言の少ない人にボールを渡せないかなあ」とながれを見ながらしゃべっていることがほとんどだ。

いまはそういう立場にはないが、それでも1プレイヤーとしてゲーム全体のながれをイイ感じに作りたいというおもいは同じだ。全員がリラックスして参加できるような会話にしたい。しかしそういうふうに見えていないかもしれないので、ここでもういちど念を押こうとおもう。黙っている人の発言はいつでも歓迎だ。

「こういうことを言うと笑われるのではないか」「話を腰を折ってしまうのではないか」「これはすでに話題になったことの繰り返しではないか」とおもってためらっている人の発言をぼくはいつも待っている。

でも、勇気を出して口を開こうとするきもちのブレーキをかけるようなことを平気で言うやつもいる。今日言いたかったのはこれだけだ。空気を読む必要はないが、人の気持ちをくじかなくてもいい。

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