本当におもしろい人とはこういう人
筒抜けの時代
今のネットには、パーソナライズ機能があふれている。
買い物サイトにいくと、自分が興味を持ちそうな商品がおすすめされてくるし、動画サイトに行くと、自分が視聴しそうなコンテンツがおすすめされてくる。
コンピューターが視聴履歴や買い物履歴にもとづいて「この人はこういうものを好むだろう」と計算しておすすめしてくるのだから便利なモノだ。
しかし、最近ではさらに進んで、このnoteで何かを話題にすると、別なサイトで関連記事がおすすめされるようになった。なのでコンピューターに常に監視されているような、居心地の悪さが付きまとう。
ネットと完全に手を切らない限り、あなたの閲覧履歴はGoogleやAmazonに筒抜けである。なんとなくすごしていると、いずれは大衆がテレビコマーシャルに操られたように、いいように利用されるだろう。
それで、お勧めしたいのは、こういうものはなんとなく受け入れるより、積極的に利用した方が操られないで済むということ。
ぼくがやっているのは、たとえば、YouTubeで自分に興味のないチャンネルが表示されたら、「興味がない」「今後表示しない」などのボタンをせっせとクリックして削っていくことで、てきめんに画面が変わるのでおもしろいし、いつでも元に戻せるので、おすすめです。
車中泊ユーチューバーにハマる
そういうわけで、ぼくのYouTubeアカウントでは、目下のところ「車中泊コンテンツ」だけを表示するにようにしている。いま、トップ画面を開くと、ずらっと車中泊のチャンネルばかりが表示されるので、かなり迫力がある。
ずーっとこの状態を続けるつもりはなくて、定期的に模様替えしており、かつては映画のチャンネルしか表示しない時期もあったし、経済チャンネルしか表示していない時期もあった。
いまはもっぱら車中泊チャンネルに凝っているわけで、そしてここからが本題なんだけど、車中泊ユーチューバーだけを見るようになって、彼らの中にも元々おもしろい人とそうでない人がいることがわかるようになった。
車中泊自体のおもしろさ
そもそも車中泊チャンネルでアクセスを稼げるのは、車中泊そのものが「おもしろい」コンテンツだからだ。
しかし、当初はその目新しさに目を奪われても、そういうチャンネルばかりを観ているといずれ慣れてきて、おもしろくはなくなる。そうなると車中泊をやっている人にも、元々おもしろい人と、そうでもないに分かれることがだんだんわかってくる。
そんなわけで、今も車中泊チャンネルばかり見ているけど、車中泊への興味は薄れて、もっぱら、やっている本人がおもしろい人かどうかを見るようになり、「おもしろい人ってなんだろう?」というようなことも考えるようになった。
おもしろい人とは
結論から言うと、おもしろい人とは、ある程度バカなことをやれる人だ。しかし、単に無謀なだけでも犯罪者になってしまうので、犯罪にならないギリギリの場所で踏みとどまるバランスが求められる。
とはいえ、かしこいだけでもつまらないので、無謀さと、それをコントロールできる知性を兼ね備える必要がある。わかりやすい有名人の例をあげてみよう。
勝新太郎とチャップリン
ここ2か月ほど、"1か月99円"のキャンペーンで角川チャンネルという映画配信サービスに加入していたんだけど、最終的には勝新太郎の「座頭市」シリーズと、チャールズ・チャップリンの喜劇ばかり見ていた。
二人には共通点がある。それは勝さんもチャップリンも人間としてのおもしろさが映画のおもしろさにストレートにつながっている点だ。
勝さんは「大麻パンツ」事件やら「真剣死亡」事件などでたびたび世間を騒がせたにもかかわらず、ギリギリのところで犯罪者にはならずに俳優人生を全うした。
チャップリンも一時はアメリカを追放され、汚名を着せられたりもしたけど、最後は和解してアカデミー名誉賞を受賞され、有終の美を飾っている。
2人とも世間からはみ出す無茶な面をもっていたが、ギリギリのところで折り合いをつけて「万人に愛される俳優」であり続けた。
このバランス感覚があったからこそ、2人ともプレイングマネージャーでいられたのだろう。勝さんもチャップリンも、監督と主演を掛け持ちしていた点が同じで、自分のどこが世間にウケているのかを把握して、それをセルフプロデュースできるアタマがあった。
逆に言えば、そのアタマがあったから犯罪者にならずに「おもしろい人」で踏みとどまれたともいえるわけで、これがほんとうにおもしろい人に必須の要素だとおもえる。知性と無謀さだ。
おもしろいシロウト?
テレビ全盛の時代はちがっていた。
かつて、娯楽の主力が映画からテレビへシフトしたころ、プロの芸人よりシロウトのほうがおもしろいという風潮が生まれたことがある。
たとえば萩本欽一さんは、たくさんのシロウトをタレントに仕立て上げたけど、それらのシロウトは欽ちゃんにいじられているあいだは輝いていたが、タレントとして独り立ちすると輝きを失っていった。
当時、ぼくの眼にはタレントさん本人が「おもしろい人」のように見えていたが、実際は欽ちゃんというプロが用意した枠組みの中でおもしろく見えていただけで、当人はふつうの人にすぎなかった。
似たようなことは「潜入!女性刑務所」みたいなものにもあてはまる。この番組で取り上げられるかぎりではどんな受刑者でもおもしろい人に見えるけど、刑務所を出れば普通のシロウトである。
SNSの場合
しかし、SNSの時代には、勝さんやチャップリンのようなセルフプロデュース力がシロウトにも求められている。
車中泊という枠組みは、それ自体が世間をはみ出しているので、最初はだれがやってもおもしろく見える。
しかし、いずれだれもかれもが車中泊をやり始めれば、車中泊は普通のことになるので、その後は、その人が元々おもしろいかどうかが問われるようになるだろう。
ただし、すでに書いたように、元々おもしろくない人がおもしろさを出そうと無茶をすると、犯罪という枠組みに頼って迷惑ユーチューバー化しやすいのがむずかしいところだ。
本当におもしろいのはこういう人
そういうわけで、多くの車中泊ユーチューバーの中で、人間として圧倒的におもしろいのが、この人だと思います。
ありがちな癒し系の車中泊ユーチューバーではなく、全国の競馬場をめぐって競馬をやっている人で、ひたすら100万円の馬券を当てることにこだわっているという
自称ホームレス変態馬券師
である。
この人は、「車中泊 & 競馬」という枠組みでおもしろく見えているだけではない。もともと無謀でおもしろい人なのだということはすぐにわかる。
ただし、無謀なだけならとっくに破産しているはずだが、くりかえし100万円をとりつづいけていられるのは、データ至上主義の綿密な計算に裏付けれられているからだ。
「無謀と知性の両立」という意味では、ややチャップリンや勝さんのような面があり(ほめすぎかもしれないけど)、いずれ多くの人がそのおもしろさを認める日が来るかもしれない。
いずれにせよ、ほんとうにおもしろい人とはどういう人なのか。この人を30分も見ていれば、よくわかる。
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