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人の時間をうばわない

ツイッターの使い方について前々から思っていることを書いてみる。具体的には、ウェブ記事へのリンクの貼り方について。

ツイッターに直接投稿しないであえてここに書くのは、特定のだれかを非難するつもりはないからだ。「ああ、そういう考え方もあるだな…」くらいに受け取ってもらえればうれしいです。

さて. . .

「世の中で一番大事なリソースは?」と訊かれたらどうこたえるだろう?

まずは太陽、水、空気だ。ただし、これは1万年前も変わらない。では「いま」にかぎればどうか?

時間だろう。いま重要性を増してきているのは時間だ。

情報がふえていく一方で、それを消費する側の時間は増えてない。むしろ、社会のスピードが上がった分、各自のいそがしさは増し、相対的に可処分時間は減っている。だとすれば、各自の持ち時間は、ますます奪い合いになり希少性をましている。

時間を一番大事だと考えている人はどんどん増えている。

***

ぼくはツイッターから貴重な情報をもらうことが多い。個人のツイートはもちろんだが、重要なウェブ記事のリンクを教えてもらうことも多い。

ところで、論文というのは、タイトルがあって、本文があるわけだけど、そのあいだに「摘要」というものが挟まっている。全体の内容を数百字にまとめたものである。「本論では、コレコレこういうことを論じて、結論はこうです」ということが書いてある。これを読めば全部読まなくてもおおよそのことがわかる。今すぐ自分に必要なものか、あとで読めば済むものか、自分には必要ないものなのかが判断できる。

ネット記事でも、最近は出だしに内容のまとめが掲載されていることが多い。これをみれば、全部読まなくても内容がわかる。詳しく知りたいときだけ本文を読めばいい。

タイムラインに流れてきて困るツイートは、記事のリンクだけが貼ってあって、ほかになにも書かれていないものだ。数ツイートならリンク先の記事をチェックすれば済むけど、かりにぼくが100人をフォローしているとして、それぞれの人が5記事ずつリンクを貼りつけた場合、ぜんぶチェックしようと思えば500記事に飛ばなければならない。

それはムリだから、自分に必要な記事かどうかを飛ぶ前に知りたい。しかし、ツイートになんの手がかりもなければ、リンク先へ飛ばないかぎり自分に必要かどうかわからない。

記事のリンクを貼っているということは、「大事だから読んでほしい」ということのはずだ。しかし、リンクを貼っているだけでは、「どういうところが大事なのか、どういう人に読んでもらいたいのか」が伝わらない。

投稿者本人は読み終わってすぐツイートしているから、記事に共鳴し「そうだ!そのとおり!みんなも読んでくれ」という気分になっているんだろうけど、読み手には、あなたがどういう気分なのか、説明がなければなにもわからないのである。

500記事すべてに飛ぶわけにはいかないので、リンクだけを貼っているツイートは「判断不能」ということで全部とばす。リンクだけをばんばん投稿してくるタイプのアカウントは「常に判断不能」ということで、申し訳ないけど常にムシするしかない。もったいないなーと思う。

こういう意識を持っているのはぼくだけかというと、そうでもない。個人名を上げてしまうけど、ひろゆきさん(西村博之氏:2ちゃんねるの創設者)。62万人のフォロワーを抱えて毎日ツイートしているひろゆきさんのツイートを見てください。どんな記事のリンクを載せる場合でもかならず内容のまとめ/感想を入れている。20年以上ネット界に君臨している人ですらそうなのだから、これは基本マナーと考えていいのではないだろうか。

ぼくもかれをまねて、記事のリンクを投稿するときは、まとめを入れるようになった。フォロワーさんはそれを見ただけで記事の概要がわかるし、詳しく知りたいときだけリンク先に飛べばいい。

これをやると、ぼくはすこし時間がかかる。そのかわり、ツイートを読んでくれた人の時間をすこし節約できる。つまり自分がひと手間かけて他人の時間を節約するか、自分の手間を惜しんで他人の時間をうばうか、二つに一つということだ。

時間が貴重ないま「この人は他人の時間をうばうことに無頓着なんだな~」と思われるのは、かなりのダメージだ思う。

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