期待しない生き方を目標に
私は何か目印がないと前に進めないタイプの人間だ。
そして、何かワクワクすることが見えていないと、どこに向かって今日を生きればいいのか、今日を何のために生きるのかがわからなくなって、不安になってしまう。
夫はそういう考えがなく、ただシンプルに日々を生きられる人だから、私の気持ちは理解はできるけれど、本当の意味で共感はできないらしい。
自分の性格がわかっているから、何か行先の目印を自分に作ってあげたいけれど、それが上手くできない時は途方にくれてしまうのだよね。
昔は富士山レベルの理想を無我夢中で追いかけられたけれど、今は人生そんなに甘くないってことも痛いくらい理解したから、キラキラした言葉はキラキラした言葉でしかなく、それを信じて入れ込むほど理性を失うことはできない。
平井堅のhalf of meという曲で、「何を残し何を捨てればいい、何を忘れ何を願えばいい」という歌詞があるけれど、まさに今そんな気持ち。
叶わないことを願えるほどもう無知じゃないし、追い求められるほど強くもない自分が今ここにいる。
控えめに言って絶望?
でも、その絶望の中に温かさや幸せがあるのも感じているから、明るい絶望と言った方がいいのだろう。
今も幸せだけれど、今ここではないどこかを求めてしまう衝動の波がある。
それが人間で、一生そうなのかな〜とは思うけど。
だから不安も抱きしめて一緒に歩かないとだよね。
期待しない行き方を心がけていきたい。
私はつい期待して、希望して、夢みたいな夢を生きたくなってしまうから、その反面ガッカリして現実に負けてくさくさと落ち込んで生きてしまうことが多い。
落ち込んでくさくさ不貞腐れるのも悪くないんだけどさ。
そんな自分も、それを隣で見て一緒に寝そべってくれて、そのままで存在させてくれる夫も好きだ。
だから、私はこんな私も夫も、この人生も受け入れて過度な期待は手放してあげたいのだ。
期待を手放して、毎日を愛せたらいいのかな。
何かを作らなければいけない、何か立派なことを成し遂げなければいけないという不安は、本当は何かを作りたい、成し遂げたいという私の中の欲求なのだろう。
それなら、作ればいい、成し遂げればいい。
自分のできる範囲で好きなだけ。
好きなだけやればいい。
そうやって静かにやりたいことをやって、自己満で生きていい。
とことん、自分を満足させてあげればいいんだよね。
自分が好きなことをやることが、壮大な何かに繋がるとか、「本当の」人間関係に繋がるとか、多くの人のためになるとか、そんな大それたことを期待しないで、どこまで自分を満たせられるか、自己満を極めればいいんじゃないかな、私の人生。
そして、小さなことを最大限に楽しんだり喜んだりできる心を養えばいいんじゃないかな。
目標は期待しない生き方。
目的は静かに好きに自己満を楽しむこと。
それが誰かのためにもなっていたらいいな。
なっていないかな。
これが期待ってやつなのよ。笑
誰かのためになることは必ずしも自分の心が喜ぶことではないかもしれないし、かといって誰のためにもならない好きなことしかしない自分は責めがちだよね。
貴方も私も幸せならいいのに。
とりあえず、私は私の幸せを担当するね。
あなたもあなたの好きに、あなたなりの幸せを心から満喫して下さい。
それでいいのかもね。
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