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「才能は見つけてもらうもの」(今日の注目記事:Daisuke Inoueさん)

また確信はないのですが、私もDaisukeさんの書かれていることに賛成なのかもしれない。最近うっすらと感じていたことに近かったので、記事を書いてみようと思います。

*****『Daisukeさんの記事引用』*****

天職は「自分で見つける」ものじゃない。「誰かに見つけてもらう」ものなのだ。「自分がどうしてもやりたい事」ではなく、「最も多くの人があなたにやってほしい事」なのだ。

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この1年半もの間、「自分が好きな事」「やりたいこと」を必死に探して、起業を目指して来ました。

何事もやってみないとわからないと思うので、「自分が得意だと思っていること」「成功した経験があるもの」「やっていて幸せを感じること」で10個近くの事業ネタを試してきました。

でも、どれをやっても「楽しくて仕方がない」という状態は続きませんでした。

例えば、音楽が大好きな人は、上手くても、そうでなくても、それをやっている時が幸せで、もし、誰にも認められなくても好きだから、ずっと続けられる。きっとこれが「趣味」。それでもし、これが仕事になったなら、Daisukeさんが言われる「天才」の域に入るのでしょう。

「趣味」そのものが、仕事になる人もいるけれど、私は今のところ、天才には程遠いようです。そもそも何かに「ハマった」ことがない。

でも、「人の役に立ちたい」とはずっと思い続けている。

「人の役に立つ」ということは、必ず相手がいなくては成り立たない。私がやったことが、その人の役に立ったかどうかは、相手の判断によるので、「自分がそれで良いと思えばそれで良い。」とはならず、自分軸を持っているとは言えないのでしょう。

もし、私がずっと思い続けている、「誰かの役に立ちたい」が「私の好きなこと」「心から望むこと」だったとしたら…。

「毎日、誰かが喜んでくれたら、私も毎日、嬉しくなれる」から、やっとここで、「自分が満足ならそれで良い。」となって、自分軸が成立するのかな?と思う。

「誰かが喜んでくれる=自分が認められる」で、その誰かに認められた行為が、結果的に「才能」と呼ばれる。

そうしたら、更にたくさんの人を、喜ばせてあげられそうな気がしてきそうだよね?勇気が湧いてくるよね?

これって自己認証欲求が強いだけ?

もしかしたら、たくさんの人に役立った能力が「才能」になった後、その能力を使い続けているうちに、本当にそのことが好きなって、「天才」にもなりうるのかもしれないよね?

誰かが喜んでくれることをして、自分の気持ちも満たされたら、「生きがい」にもなるよね?みんなが幸せ!私も幸せ!

うん!とっても良い感じじゃない?

「?」がたくさんで、申し訳ないですが、これが今の私の結論。

だから、しばらくは、誰かの役に立てることを探しながら、これからもアクションし続けるし、Noteで私の価値観を発信し続けます。


毎日のおうちごはんのことで困っている人を減らすために毎日頑張っています。今はYoutube撮影用の機材購入の資金に宛てさせて頂きたいと思っています。