言ってもらっているうちが花かもしれないって思えるのだが

でも、やっぱり思えていないというか……。
言われると、どうしても落ち込むし凹むし。
昔、『考えない練習』って本があったけど、考えないことってできるようになるんだろうかって思った。

働き始めたばかりの頃は、先日書いた反抗期の記事のように、それこそ反抗期の固まりように突き進んでいた気がする。

上司とも衝突?したこともある。が、それが向上するためのものであったからだとは思えている。わがままを言っていたつもりはない。なので、その上司とは今でも関係は良好である(と思っている……)。

しかし、いよいよミドルリーダーと言われても仕方ない年齢になり、それなりに下の年代の子に指導する立場にもなってきたのでそうも言ってられない。どうやら、私の反抗期は終わったようだ。それなりに自立もできているのかな。
私の若かった時のように、ちゃんと意見を言ってくる後輩も何人かいる。そこに実力が伴っていないって後輩もいるのは事実。私を飛び越えて私の上司とやり合い始めたときには、仲裁というかフォローにも入る。
なんかいろんなことを考えなきゃいけないからめんどくさくなってくる。以前のように言いたいことを言いたいだけ言っていたいって思うときもある。

後輩の意見は立ててあげたい。が、表面だけ取り繕っても、真理を追究しないとやっぱり筋は通せない。メッキはすぐに剥がれる。
本質を見極め理解して、それを更に次の世代へと引き継いでいくことまで考えておかないと、手詰まりになる。
その、「次へと繋げる」が若い世代には難しいようだ。今を精一杯きているからなのだろう。いや、しかしそれは、今さえ良ければ良いんだってことになる。
旅の恥は決してかきすてではない。旅行をしても、最低限度のマナーは守るべきだ。それも旅行を楽しむことの一つになっているはずだ。
お天道様は見ている、とは言い過ぎかもしれないが。人が見ていないときこそ、自分をしっかりと見てほしい。

温故知新。故きを温めて新しきを知る。古いものも大切にすべきものはたくさんある。今新しくても、それはすぐに“古いもの”になる。良さを残すために。
変わることを恐れてはいない。しかし、変わらないものがなぜ変わっていないのか、そこの本質を理解すべきだ。

言いたいこと言われるのも疲れてきた。けど、あの人に言っても無駄だからってなるよりはましなのかな。

自己一致。
言っただけのことをしてみよう。

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