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わたしの動画依存症がなおった理由

ずっと動画を見ていた。

洗濯物をたたむとき、野菜を切るとき、子どものオムツを替えるとき、集中できないけど作業する必要があるとき、傍にはいつもタブレットを置いていた。

子どものシャツを畳みながら、バチェラー・ジャパンの華やかな世界に没頭した。野菜を切りながら、頭の中はのだめカンタービレの世界に行っていた。

わたしは嫌なことをするときに、動画を見るのである。

嫌だけどやらなければいけないから、そのマイナス分を補うために動画を摂取しているのである。

動画を見ると、素晴らしいことが沢山ある。アマゾンプライムには、アニメからお笑いからドキュメンタリーまで、素敵な作品がたくさん並ぶ。好きな作品や役者さんが増えていくのは嬉しいし、誰かと話題を共有することも楽しい。

嫌な作業も楽しい動画を見ながらやるなら楽しみになる。いいじゃないか、そう思っていた。

しかし、この数日間で、私は変わった。何かをしながら動画を見ることがめっきり減った。


動画を見ながら家事をすると、多少気をとられているために作業が遅くなる。結果として、終わるまでに時間がかかり、動画を見ている時間が長くなり、脳内でいつものだめがピアノを弾いていたり、ヘリコプターデートにうっとりしたりした。

自分自身で、ものを考えることが無くなっていた。新しいアイディアを思いつかない。当然だ。脳内は他人の作品でいっぱいだったのだから。


家事をしながら動画のストーリーを追っていたところで、子どもに話しかけられる。私はすぐに頭を切り替えることも同時に情報を処理することも苦手だ。聖徳太子には死んでもなれない。はっきり言って、動画を見ていると、子どもの声が雑音になるのだ。邪魔になるのだ。

私は上の空で答えた。大半の時間を動画を見ながら作業をすることで過ごしていたので、大半の時間、子どもに対して上の空だったことになる。

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自分が依存症だと、気づいたきっかけは年明けに手に取った本だ。

親戚関係の行事や家族でべったり一緒にいる時間が多かったことで、他人へ気を使う時間が長く、脳内のキャパが圧迫され、ストレスがピークに達して少し私は狂った。

なんとかしたくて何冊か本を読んだ。そして気づいたのは、自分がかなりセンシティブで、何かに依存しやすい傾向(HSPかつエンパス)であることだ。感受性が強く、刺激を受け取りやすいのでそのアンテナを鈍らせるため、酒やタバコや浪費その他に依存しやすいタイプらしい。

そうだ私は、嫌なことをしなければならないときにタブレットのスイッチを入れる。

洗い物は嫌いだ、洗濯をするのは面倒臭い。なんで私がやるのとよく思う。子どもにはどう対応していいかわからないことがある。向いてないとよく思う。それでもやらなければいけないから、動画を頼って嫌だと感じる感覚を忘れようとしているのだと思った。依存症だ、私は依存症だ。

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その本『LAの人気精神科医が教える 共感力が高すぎて疲れてしまうがなくなる本』を読んで、自分の繊細さをもっと生かしたいと考えるようになった。

自分の感じていることを、もっと楽しみたいと考えるようになった。

動画を見始めると自分が何を考えていたのか感じていたのかも忘れてしまうので、スイッチをつけなくなった。皿を洗いながら、自分の心の中を楽しむ。すごく変わった趣味だと思うし、ナルシストっぽい。まあいいでしょう。自分の世界を、動画の代わりに楽しむのである。そう思いついてから、動画を見てしまうのはもったいないと思うようになった。


すると、心の中に静けさが戻ってきた。話しかけてくる子どもの声は、雑音ではなくコンテンツになった。以前は「他人の作った動画の世界」でいっぱいだった脳内は、自分の思考と「時折話しかけてくる子ども」に変化した。

私は、子どもをただ面倒な存在として思っていたわけじゃない。あ、子ども面白い、よかった。そう思う瞬間が、これからもっと増えるといいと思う。




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