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サットチットアーナンダ~私とは至福なる意識そのものである

今日は冬至ですね!
私の誕生日でもあります。一年で最も日照時間の短い日、最も陰極まる日に生まれた私です。


48年前の12月22日は、阪神間には珍しく、雪が舞う日であったそうです。
予定日よりも三週間早く産気づいた母は、急いで病院に向かいましたが、あっという間のお産。「大した苦しみもない楽な出産」だったと言います。


予定日よりも早く生まれてくる赤ちゃんは「やる気満々」だそうです。どうしてもやりたいことがある。目的を成し遂げたいと意気揚々に生まれてくる子ーーという話を訊いたことがありますが、さもありなん。分かる気がします。


昨晩、出張先の主人から低反発マットが届きました。誕生日プレゼントのつもり、なのかしら~?ベットに敷いてみると、これがすごい!こりゃええわ♡体の重さを感じないというか、重力が拮抗して一番ラクな状態で眠れるというか・・・


おおーそうか!!!そういうことね。これは(宇宙からのw)お誕生日メッセージに違いない!と思った次第。


私たちは、とにかく足して足して足しまくるーーという方向性で「幸せとか満足感」を得ようとする性質がありますよね?でも、本当は逆なんですよねぇ・・・重さ、つまり、物量としての肉体や自己価値としての自我を超えたところに「本当の幸せや安心感」があるんですよね。


その至高の平安は、ヒンドゥー哲学、インド人の内的精神世界では「サット・チット・アーナンダ」と称されるものです。私たちは純粋な喜び、意識存在そのものであるーー


インドという国や文化には<神なるものとの純粋な関係性>を保持している部分があり、それが私には大きな魅力です。しかし、インド人曰く「日本人こそ心が平安、日本人の精神性の高さは素晴らしい」


えーーそうなのかなぁ?と思いましたが、確かに!日本の文化や日本語には類まれなる深さがあるんです。華道・茶道・香道・武道・・・あらゆる「道」には共通した静寂さと繊細さがあり、精神の統一を求められる側面があります。外ではなく、内へ内へと向かわせる道。それは「唯一の永遠なるもの」に気がつかせるためです。


つまり、私たちが到達できる最高のもの、最良のもののが「アートマン・プルシャ・純粋意識」です。それは消えることも外界から影響を受けることもありません。それが唯一の永遠なるものであり、それ以外のものはすべて幻なのです。


その消えないもの、いつもここにあるもの、ただひとつの私の実体・実在ーーそれを発見するためのひとつのメソッド、そして、そこから離れないで生きるためのツールが「瞑想・内観」です。瞑想は10代の頃から始めて、何十年とやってきましたが、今は、特に、座って瞑想の為の時間を設けることはしていません。


野菜を切りながら、お風呂掃除をしながら、猫のお世話をしながら、文章を書きながら、いつでも「純粋意識」に触れることができます。それをわかりやすく表現すると「いつでも死ねる準備、現象を掴まない意識と共にあることを体得した状態」です。


勿論、人間ですから、私も一喜一憂します。でも、すぐに戻ってくることができます。すべてを手放すことができます。占星術を学び、皆様のホロスコープを読ませていただくことで、益々、それが本当に大切な智慧であるという確信が深まりました。


社会の中で自分の能力を活かしたい、世界から必要とされたい、自分の存在がお役に立っているという実感と喜びを得たいーーこれは至極真っ当な欲望です。とても大切なことです。そこから逃げてはいけません。しかし、そこからすべての苦悩が生まれるとも言えるのです


これは、まさに、太陽と月の関係性とイコールです。純粋な欲求に突き動かされて、太陽の道を進んでいたはずが、必ず、月が自我の痛いところを突いてきます。


ちょっとしたことで、やっぱり私には才能がない、私には価値がないと思う。外界からの反射によって、いとも簡単に自己価値(自我)が揺らぎます。ハイヤーセルフなるものの視点では「また~?いちいち揺らいどんなぁ。あーた、それいつまでやるの?」って感じかもしれませんw


でも、これ、当たり前なんです。自我とは幻だからです。個別の「私」を握りしめ守ろうとすることから、すべての苦悩が生まれます。その苦悩は時に私たちを死に追いやるくらい強烈なものです。自己価値がゼロになった時、無価値観と絶望感に苛まれ、死への吸引力は最大値まで振り切られます。


消えゆくものである現象や出来事、目に見えるお金や物質、外側からの評価や人気などによって「自己価値」を保とうとする自我の働き、それが月の働きそのものです。例えば、占星術で自分を知りたい、より良く生きたいーーそれも自我の範疇です。世界を良くしたい、苦しむ人の力になりたい、自分を役立たせたいーーこれもすべて自我の範疇なのです。


何かを得よう、何かを成し遂げようという欲求のすべてが、自我から生まれます。それは、私たちの地球人生においては、絶対的に必要なものですが、それによって「太陽・自己価値・最大の喜び」を得ようとしてはならないーーわけです。なんとも恐ろしいパラドックスです。


きっと、私たちに与えられた才能や特性とは、私たち個別の持ち物ではないのです。それは大いなる全体性が与えたひとつの役割に過ぎず、それが評価されようが、世界の役に立とうが立つまいが、存在そのものにはどうでもいいことです。


自己価値に拘り、個の私の価値を高く保つ、保っておきたいーーそこに意識を合わせている限り、ジェットコースターからは下りることができません。永遠に一喜一憂するだけです。


自分の才能、喜びの在り処を追及する。それが高く評価されようが心外な評価を受けようが、本質には何の関係ないのです。トライ&エラーの繰り返しです。自我の奇妙に高いプライドは、もうほんと!どうでもいいのです。いちいち傷つき、いちいち自己信頼を揺らがせる意識が月です。決して本気で月とやり合ってはならない。そんな自分を笑ってしまえばいい!


あなたは、ただ、淡々とその道を行け。どこまでも歩いて行けーーー
と太陽意識は励まします。


すべての行為を行うのはあなたであり、すべての評価は神が行うだろう。永遠なるものと永遠でないものを識別できる目を持っていなさい。いつでもあなたの存在そのものである「純粋意識」に立ち返れーー


私たちの価値とは「何をしたか、何を評価されたか」という場所にはありません。ただ純粋にそこにある意識、存在の至福こそが価値なのです。それを忘れて自我の自己価値に視点を置くと、自己卑下・自己否定から絶望感と無価値感に行きつきます。それが太陽と月の構造であり、お働きです。



月は永遠に私たちに付きまといます。光あるところに必ず影が差すように。
自我に絡め取られることなく、現象を掴まずに自我を楽しむ。自己価値という個別性に拘ることなく、全体性の中で生きる。


ワンネスとは綺麗ごとや理想ではなく、それを知らないと、最後に大変な苦しみを与えらえるという碇のようなもの、極めてこの世的で土星的な地球の掟です。




そこを超えない限り、私たちは永遠に「アイデンティティ・クライシス」から抜けられません。水瓶座時代は「真に自立」して生きる時代ですから、多くの人が、これから自我崩壊の危機に直面するでしょう。それは新しい時代へ向かうための試金石であり、個々人の内側で起こる本当の「最終戦争」とも言えます。


その時、占星術や意識の構造を知っている皆様が、自分の道を邁進してきた経験豊かな諸先輩方が、このブログを読んでくださる仲間の皆様が、その灯台となってくださると思っています。貴重すぎるこの地球人生です。どなた様も途中で終わらせるより、最後まで生きて生きて、生き切った方がいいーー私は純粋にそう想っています。ゲームを強制終了させて、悲しみの中で去っていく人が、一人でもいるのはとても辛いです・・・


最後に祝杯のビールを飲んだ方がいいですよね♡おいしーだろうな~ここまできて、月のお働きにまんまとやられるのも悔しいwですし。月だって、私たちに超えてほしいんですよ・・・



素晴らしい特性と才能を、喜びに従って世界のために使いましょう☆評価はどうでもいいんです♡あなたはあなたとして在るだけで最高の価値がありますからね!

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