見出し画像

月は欠損なのか?~意識が現実を創造する~

従来の占星術において、月という天体は「無意識の部分、あなたの素の感情の部分ですよ」とされ、それは、むしろ「本当のあなた・本質的なあなた」を表す天体であると認識されてきました。


しかし、マドモアゼル愛先生の月理論では、月という天体は「あなたの欠損している性質を示している」とセンセーショナルに表現されています。この部分においては賛否両論あります。ユリシスが思うに、これはいわばショック療法のようなものです。


「欠損である」とズバリ指摘されることで、当事者は少なからずの衝撃を受けます。人はショックを受けた時、否応なしに「無意識領域」が動きます。その時、奥底に沈めたまま抱えてきた「無意識層」に深く触れるチャンスが生まれます。


「月は欠損である」という理論が、特に、それで身を立てているプロの占星術師さんたちに対して、強い拒絶感を与えることが多いのも当然のことと言えるでしょう。なぜなら、これまで「当たり前に信じてきたこと」が根底から覆されることは「アイデンティティの喪失」と同義であるからです。


それは、純粋な善意で医療に携わってきた人が「医療の闇」に気が付いてしまった瞬間の衝撃と同じです。まっすぐな情熱で教育の現場に入った人が「学校教育システムが抱える子どもの個性や生命力を殺してしまう側面」と直面してしまった時の絶望と同じです。或いは、信じていた恋人や親友の決定的な裏切りを知ってしまった時のショック、あの体が粉々に砕け散るような感覚と同じなのですから。


「自己というプライド・自己という拠り所」の土台が激震を受けた時、そこから「どの方向へ」進んでいくかは、全くの自由意思です。ショックをなかったことにしてそのまま進む方向、ショックを受けたことを深く受け止め、自己内観といういばらの道を進んでいく方向。道は二つしかありません。



「月は欠損である」という表現が強すぎるならば、「月は反射である」という表現に変えてもいいと、私は思います。ある段階までは「月は欠損」です。私たちの人生を突き動かす無意識(月の恐れ)に気が付かない限り、やはり「月は欠損」なのです。



しかし、確かに、月は「全くないもの」ではありません。私たちは月星座の本質的エッセンスを持っています。ただ、太陽の性質は紛れもなく備わっている天性の輝き(リアリティー・ダイヤモンド)であるのに対して、月の性質は、「気が付いていない深い傷と恐れ」によって反射を起こして現れているもの(リフレクション・イミテーション)なのです。



太陽天秤座と月天秤座でその違いを比較してみますね。とある占星術師さんの動画を拝見していたら、とても興味深いお話が出てきました。その方の高校生の息子さんが、学校で先生に言われた言葉にとてもショックを受けて、ひどく落ち込んでいたそうです。息子さんが強く反応したのは「課金してまでゲームをするなんて馬鹿げている。何の生産性もない無駄な行為である」という先生の言葉だそうです。



それは違う。随分一方的な言い分だ。ゲームを作っている人はそれを生業としているのだし、ゲームで癒されたり安らぎを得ることだってある。あまりに一方的で乱暴な意見じゃないか!ーーーと強く反発したそうです。



その息子さんは月が天秤座。月天秤座の人の内側には、バランスを取りたい、公平でありたい、世界は調和的で平等で対等なものであってほしいーーという強い願いがあります。でも、自分にはそれを実現する能力がないから(ないと信じているから)「脊椎反射として強く反応する」のです。



しかし、本当に「ない」わけではありません。対等であること、バランス感覚を維持すること、平和的で調和的なものへのセンス自体が全く欠落していたら「不均衡を感じ取り胸を痛める」ことさえできません。息子さんは天秤座の大切なエッセンス(最も純粋な天秤座の核の部分)を内側深くに持っています。



これが天秤座の太陽を獲得している人であるならば、過剰反応は起こりません。調和の何たるかを知っている太陽天秤座さんも同じように、不平等でアンバランスなことを悲しく想うでしょう。しかし、そのためにどうすればいいかを知っているのが太陽天秤座です。自らの存在自体が「調和」への希求であり表現ですから、胸を痛めることがあっても、過剰反応して落ち込むことにはなりません。



結局、現実的能力や本当のパワーとは「肯定感や前向きさ」からしか生まれないのです。自分に対する絶対的肯定感と自信です。しかし、月の性質は太陽の性質と同じように「持ってはいても」、それが「不安や恐れ、無力感」によってリフレクションしたものですから、現実的な能力としては欠落してしまいます。


月は欠損という表現が本当に意味するのは「現実的能力としては欠落していますよ。なぜなら、恐れや自己防衛反応を動機としているのが月だから。でも本質的エッセンスは確実に持っていますよ。それは現象世界に顕れることができないからこそ、永遠に純粋であり、人の魂に訴えかける力を持っているのです」ということです。



ないわけではありません。月の性質はあります。あるのです。だからこそ、恐れに気がつくことが重要ですよ。内側を観ましょう!ということなのです。恐れという無意識のコントロール(月)からフリーになった時、太陽が全開になります。そして、だれでも12サインの性質を持っていますから、超えてしまえば、月の欠損なんてどうでもいい話になります。他の天体やサインを使えばいいのですから。(そこまでは難解です・・・)



月理論とは心理学や意識の科学、量子力学の本質から微塵も離れません。それらの間には一滴の矛盾もないのです。月天秤座の人の奥底に「世界とは不平等なものであり、調和を保つためには自分を下に置き、犠牲的になるしかない。本当の自分を受け入れてもらい対等に生きることはできない」という深い痛みと強い恐れがあるのです。それはご本人の責任でも何でもなく「持って生まれたもの」です。



無意識にある恐れが大元となって、それに見合う現象を引き寄せています。まず、意識ありきなのです。なぜ、それが明言できるかというと、クライアント様の多くがまさにそうであり、何より、私自身が100パーセント、そうだから!!!です。



私は月が蠍座です。月蠍座の人の奥底には「世界とは自分を守ってくれないもの、得体の知れないもの、裏切られるもの」という痛みと恐怖があります。それが映写機となり「パートナーに裏切られる、大切な人が手のひらを返す、世界とは裏表のある恐ろしいところである」という(いわば恐れの証明のための)現実が現れます。



まず、無意識下の恐れがあって、それが現象化します。「あなたはそう思っているのですね。そう信じているのですね。そうですかそうですか。ならば、それを証明する現実をどうぞ。何度でもどうぞ~♡」というわけです。



意識とは現実の映写機です。太陽も月も同じです。月の映写機は悲劇かホラーか、はたまた、救いのない究極の喜劇を映し出します。でも、太陽の映写機は涙あり笑いあり苦労もあり。。。しかし、必ずハッピーエンドの作品を映し出すのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?