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太陽の光を当てる〜罪悪感の正体

罪悪感の意味を調べてみると、「社会的・道徳的な規範から外れた行動を取った時に自責の念に駆られること」と説明されています。フロイトは「罪悪感は自我と超自我の葛藤から生じる」と説いています。超自我とは無意識下にある良心のようなものです。



根深い罪悪感を持つと、その重たい気持ちが自分を責める方向で発露される場合と周囲の人を攻撃する方向で発露される場合があると思います。先日、車椅子に乗った高齢男性が、奥様らしき方を激しく罵倒しておられるのを目にしました。



奥様と思われる高齢女性は暗い表情で車椅子を押しながら、その男性に献身的かつ非常に温和に接しておられるので、いたたまれない気持ちになりました。家族に暴言を吐いたり冷たくあたる高齢男性の多くは、無意識にある罪悪感や劣等感にコントロールされているように思います。



奥様の愛情や献身をわかっているのに、それに応えていない(応えられない)自分に対して深い罪悪感を抱いている。過去に奥様に苦労させてしまった、悲しい思いをさせてしまった、そう感じておられるのかもしれません。その拭い去れない自責の念が、身体が思うように動かせないやるせなさと相まって、益々の攻撃性となって現れるのではないでしょうか。ご本人も苦しく痛いことでしょう。



罪悪感を全く持っていない人はいないと思います。普段は奥底に沈殿していても、罪悪感の片鱗は時折、顔を覗かせます。私自身で考えると、罪悪感の根底にあるもの(原型・雛形)は「親に向けられた罪の意識」です。子どもの時、親が作ってくれた食事に文句を言ったこと、親が出してくれた学費やその他諸々に対して、しっかり応えることができなかったこと、生まれてきたくなかったと口にしてしまったこと・・・



その感情は罪悪感となり、無意識から私たちをコントロールします。どんなに体調が悪くても、一度交わした約束をキャンセルしたり、または仕事を休むことができない。周囲から期待されていることに必ず応えないといけないという強迫観念があるーーーそんなふうに仰る方は少なくありません。とてもよくわかります。それらの根底にあるものは罪悪感です。



罪悪感により自責の念を抱えることはとても苦しいことです。でも、一つ心に留めておくと楽になることがあります。罪悪感は愛から生じるという事実です。罪悪感は大切な相手だからこそ湧き上がる感情です。好きな人、愛情を感じている職場、仲間意識を持っているグループ・・・本当は大切にしたい人や場だからこそ、期待や思いに応えられない時は罪の意識を抱き、愛情を感じているからこそ自責の念が湧き上がります。



心の通わない場所、自分が全く尊重されていない場所、つまり、どうでもいいと思う職場を休んだとて、責任感は疼いても深い罪の意識は感じないでしょう。どうでもいいと思う人からの期待に応えなかったからといって、激しい自責の念には駆られないでしょう。罪悪感は愛情の裏返し。本当は大切にしたかった相手や場に愛を表現できなかったこと(上手く表現しきれなかったこと)に対して心が痛んでいるのです。



罪悪感を持っている相手は大切にするべき相手、愛している相手です。謝って楽になるなら謝るといいですし、何か行動を改めることで楽になるならそうしたほうがいいです。楽になれる道を選んでください。楽になれる道とは無意識にコントロールされない在り方を選択することであり、太陽で生きる道です。罪悪感やさまざまな負の感情は過去の産物であり、過去の代表格は月です。



ホロスコープの中で現在という位置に戻すことができる天体は太陽だけです。太陽は唯一の自由意志であり、過去と未来を書き換えることができるたったひとつの力、全ての体験を意味づけできる力、私たちに与えられた最大のパワーです。太陽の意志で今ここを自分で創造することで過去は変わりますから、大丈夫です。いつだって遅すぎるということはありません。生きている限り太陽は輝き、太陽は運命を超えます。決して運命論者にはならないでくださいね。

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