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風の谷のナウシカ、再び・・・

風の谷のナウシカを視ました。今さらながら、この作品が名作と言われる理由がわかりました。ナウシカは女性性の象徴であり、女神ティアマトの神髄そのものではないかとさえ感じました。



幼い時、ときめきトゥナイトに夢中になったのは、蘭世の豊かな女性性に魅せられたからです。「大事なものは力や魔力じゃない。愛と信頼を知らない存在に本当の力なんて使えるはずがない」



幼な心に、その通りだと思いました。蘭世のような清明な心を持つ人間になりたくて、そんな成熟した女性性を持つ大人になりたくて、彼女に憧れました。でも、その後の人生は、幼い時に思い描いたようにはいきませんでした。女性性どころか、自分の弱さ・醜さ・狡さに翻弄され、そして、社会の汚さと矛盾に適応できるだけの強さも知恵も持ち合わせていませんでした。



そして、年齢を重ね、色々な体験をさせていただいたことで、思うように生きられない原因はすべて「私の心」にあると、学ばせてもらいました。同じ出来事を体験しても捉え方や受け止め方は千差万別です。Aさんという人物に対する感じ方も同じく、人それぞれです。たったひとつの真実があるということではなくて、私たちは自分自身の色眼鏡によって、出来事や他者を評価したり、意味づけをしています。



冷静に心の目で観れば、目の前の世界とは私であることがわかります。すべての出来事に意味づけを行っているのは、神様でも他の誰でもなく、私自身であることがわかります。他者への敵意は自分に向けられていることがわかります。



私は私のフィルターを通して、すべての出来事に独自の色をつけ、世界に意味を与えているのです。ならば、世界や運命や出来事を変えようとするのではなく、自分の見方・捉え方を変えていこうと思いました。今、理想の自分でないならば、理想に近づけるように一歩づつ努力してみよう。人には人の自由があることを全面的に認めよう。今後一切、後ろ向きでムダな考え方は止めよう・・・



そうやって、常に自分を大事にする方向へ、自分を好きになる方向へ、明るい方向へと進むように、意識づけを行ってきました。星から判断しても、そもそも私は明るい性格だと思いますが、若い時は生きることが辛すぎて、随分、後ろ向きでひねくれた考え方をしていました。だからこそ、世界を変えるのではなくて、自分の意識を変えようと、ある時、決意しました。



それによって、人生が大きく変化しました。そして、最近、少々ショックなことがあったのですが、そのおかげで、新たな決意をしました。「私はたった今から、誰とも何とも戦わない。すべての戦いから降りる」



誤解されたり、誹謗中傷ともとれるような出来事があった時、私は自分の正しさや考えを説明したくなったり、悪意や攻撃に対して、やり返そうとする気持ちが残っていました。不本意な扱いをされた時、それに対して戦いたい自分が奥底から立ち上がってくるのを感じていました。要するに、感情的に脊髄反射を起こしてしまうことがあったのです。月の世界です・・・



しかし、もうそれら一切を止めようと決めました。決めるってすごいことです。もう決めたんだから、戦いという意識は私の世界から消えたのです。そうなると、なんと、心が穏やかに温かく、まあるくなることでしょうか。



ナウシカは戦っていたのではありません。慈しんでいたのです。すべての命を愛おしく慈しんでいたのです。戦うとは意識のことです。自己防衛反応と自己優位性のことです。戦うーーその結末を私は知っています。人と比べたり、人より優位であろうとする、その結末を、私は知っています。何も生み出さず、誰ひとり幸せにしないのです。それなのに、自分自身が変わらないなんて、それを手放さないなんて、恥ずかしいし愚かです。



水瓶座時代は戦いや優劣などふさわしくありません。自分だけが、自分が・・・という意識なんて、全く不釣り合いです。自分の内側に平安があれば、それでいいのです。そして、男性的な力がものを言う時代も終わりました。安心してください。それはもう終わったのです。だから、もう自分を守ろうとしなくても大丈夫なんです。



戦わない心、すべての人の幸せを願う気持ちーーそんなアクエリアスの意識、それ自体が全き神性を宿しています。戦う相手は自分自身だけでいいのです。私たちは自分自身の弱さや闇とだけ戦うのです。



女性性よ、復活せよ。
今、全ての戦いから降りようーー



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