美術について

2018年留学中に書いていた文章を今更ながら投稿する。

無性に文章が書きたくなって、キーボードをたたいている。
今読んでいる本は入江昭氏によるCultural Internationalism and World Order という本だ。LSEで勉強している先輩が話していたのをぼんやり覚えている。それがきっかけだったかどうかは覚えていない。他の場所でも参照されていて、それで読もうと思ったような気もする。後はThe Story of Art という美術史の定番の本も、ちょっとずつ進めている。
この(2018年の)冬に、フランスのNante、ウィーンとベニスに旅行した。Nanteは残念ながら美術館に行くことができなかったが、あとの二つの街は美術館巡りをしたといっても過言ではない。これはウィーンでお世話になった吉田真理子先生の影響が大きい。この方はウィーン大学で法学博士号をとられ、それからつい二年前までずっとドイツとオーストリアで教鞭をとられていた人物で、ヨーロッパの生み育てた学者という感である。おそらく3か国語は完璧に使えるし、もう一つ二つ、他の言語も理解しているのだろうと私は踏んでいる。それよりもなによりも、芸術への造形が深い。ように私には思われる。私は世界史も美術史も音楽史も勉強したことがないので、大学受験時に学んだことのある人もおおいのかもしれないが、私個人はそのあたりのことについてさほど詳しくない。しかし、吉田先生は愛の鞭(と私は勝手に信じている)というべきか、私が先生宅に滞在している間ほとんど常に芸術の話をされていた。
私はコンテクストというものを非常に重視する人間だ。例えば英語を学んでいた時は、わからない単語は文章の流れで推測するのが大好きだったし、普通に日本語の会話をしているときも、背景を踏まえて何ステップか飛ばした話をしてしまうこともある。日本の伝統文化でも、和歌などはそれこそいろいろなところから記号化されたレファレンスをとってきているからこそあれほど短い語句数で奥深くなりうるわけである。これは別に日本に限るわけではないだろうというのが私の推察である。西洋美術にしてみても、聖書やギリシャ神話から題材を得た作品が多いわけで、それを知って鑑賞するかどうかで絵の楽しみ方というのは大きく変わる。幸いなことに、私は一般の日本人よりはそのたぐいについて知識がある。しかし、絵画史全体を知ったうえで、特定の作品がその歴史にどのようなインパクトを与えたのかということについて、私は全くの無知なのである。
 私が旅行中に興味を抱いたのは、ヨーロッパ王室の芸術作品コレクションへの執着である。ウィーンでさんざん恩師の前で無知をさらした私は、ベニス行の電車の中でこれではいけないと思ってオーストリア美術史博物館で買った解説書を読んでいたわけであるが、そこには「ロンドンの美術館(ナショナルギャラリー)と違って、当美術館はコレクションに偏りがある」と述べられていた。その本によると、ナショナルギャラリーは美術史全体を広くカバーする意図をもって絵画を集めた結果ああいう美術館になったそうだが、美術史博物館はハプスブルク家のコレクションそのままなために、イタリア・フランス画家による作品が極端に多いという。
絵画がかつて宗教的な意味を持っていたこと、ルネサンスになると宗教の皮をかぶった色物として作成されることも増えたこと、あるいは肖像画は見合い写真としての意味もあったことなどは知っている。しかし、時代が進むにつれて、ハプスブルグ家だけにとどまらず、おそらく多くの王室が、きそって優れた美術品を集めてそれらをキュレートしようとしていたことの意味は何なのだろうか。王室の財力の証として、美術品を集めることが求められていたのだろうか。
といったようなことをつらつらと考えながら、Cultural Internationalism and World OrderとThe Story of Artを読んでいるわけである。一つには自分の知識のなさに絶望したのと、もう一つにはこの二つにどのような関係があるのか知りたい、というわけだ。


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