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鮎川まきさん「子どもが欲しい、という気持ちが欲しい」

昨年2013年11月の「文学フリマ東京37」でたまたま出遭った鮎川まきさんの新作エッセイ。
鮎川さんがこのテーマでエッセイを書かれるというのを知ってから出版を心待ちにしていたので、さっそく入手致しまして、実はその日のうちにイッキ読みしました。

ずっと感想を書きたいと思いつつ今になったのは、なんとなくという事もあるけど、考えてしまう事が多くてまとまらなかったと言うのが本音。
結局まとまらないので、そのまま書いちゃえって感じで書き始めたので、まとまらないのは必須ですので最初にお断りしておきます(笑)

結婚して、さて「子供どうする?」は、デキ婚でもない限りはある程度どこの夫婦も多かれ少なけれ考えるものでしょう。
私は結婚したのが今から30年以上前の31歳の時で妻も同い年だったので、当時の状況からして結婚自体が遅く(30過ぎての結婚は遅いという時代)、周囲からはすぐに「子供」というワードを浴びせられたものです。

しかし、当時の私の考えは子供というのは「作る」ものではなくて、あくまで「デキる」ものだという事で、今でもその考えは変わらない。

「作る」となると、お互いの生殖機能に問題がないか調べたり、「タイミング」を図ったりと、「計画」とか「作業」的な話になって、言ってみれば実に「人間的」な行動になる。
それを思うと、まず生殖機能については万一どちらかに問題があるとかになったら、それはなんだか嫌だと思ったのと、「タイミング」と言うのも、何か違う気がしたからである。

「タイミング」なんてのは、図るものじゃなくて、その日その時のお互いの気持ちが合致した時になされる行為であるのが本当だろうと思ったわけである。いわば「動物的」な行動。
あえて下品な表現をすれば、お互いに「やりたい」時にやって、どっちかがやりたくなければしないって話。

その結果「デキる」のが子供であって、デキるかデキないかは「縁」の問題だと思っていた。
私は神仏は一切信じない無神論者だが、「縁」と言うのは信じてるところがあって、自分の子供に出遭うかどうかもまた「縁」だと考えていた。

さて、そんな私なので、鮎川さんの言う「子どもが欲しい、という気持ち」が欲しいと思った事はない。
お互い自分の遺伝子を残したいという生殖本能に任せたいと思っていた。
ただし、その考えを明確に妻と共有したかと言われると少し曖昧ではあるが、なんとなくは伝えたと勝手に思っている。
結果、我々夫婦には今も子供が居ない。つまりはデキなかったわけである。
望むとか望まないとかじゃなくて単なる結果に過ぎないし、それに後悔はまったくしてない。
これも妻の本音は分からないが、その件で異論を言われた覚えもないのでそれで後悔してるようには思えない…と思いたい…

なんだか自分の事ばっかりでこのエッセイの感想になってないが、このエッセイを読んだからこそ改めて思ったわけなので、これも感想のうちだと思いたい。

とは言え、これだけではあまりに鮎川さんにも失礼なので、エッセイ内容について思った事なども少しばかり書いておきましょう。

まず、「産む」という大仕事をする側の女性の気持ちと言うのがとてもよく分かったって事。
今まで分かっていたようで分かってなかったという事が分かった(笑)
なので、結婚して、さて子供と思ってる「夫」にはぜひ読んで欲しい。
これ、もし私が子供を考えてた頃に読んだらかなり衝撃を受けて考えを改め、軽々しく「子供」などと言うワードを口にしなくなったレベルかも知れないので、今今「夫」に読めと言っておきながら実に勝手だが、私は当時このエッセイに出遭わなくて良かったと胸をなでおろしている。
いや、そんな事を言ったら鮎川さんに「なに言ってんだ!」と叱られそうだが(笑)

このエッセイの終盤に書かれた「猫」に接する時の役割分担の話はウチにも猫が居るので実に共感した。ただエッセイにもあるように子供がデキた場合に猫のように出来たかは不明だ。

「槙生はずるい」に書かれた事も実は私は一時期結構本気で思ったりしてた。
つまりは、いきなり「育った」子供なら欲しいなんて事を考えてた事もあったけど、これも考えただけで終わった。

私の両親はすでに他界したが、生前の父親が末期がんの病床で「このまま俺ら(実父母)は孫の顔を見ずに終わるんかなぁ」としんみり言ったのは少し堪えたが、親に孫を与える為に子供を作るワケではないのだと、すぐに思い直したものだ。

お互い還暦を過ぎた我々夫婦なので、もはや我々夫婦の遺伝子を受け継ぐ子供はまず不可能となったが、さっきも書いたように後悔はまったくない。

私の考えを押し付けるつもりは無いが、子供を持つかどうかの悩みを若い夫婦から相談されたら、子供はあくまでデキるもので作るものじゃないと主張したい。

まあ、そう思うと「デキ婚」ってのが理想的だなとは思う。
これほど「動物的」な事も無いもんねぇ(笑)

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