こんな話を書くかどうか、ちょっと迷ったけど、せっかくだし書いておきたいという気持ちが勝ったので書きます。 まあ、そうゆう類いの話で、完全に下ネタなので苦手な方はここで回れ右でお願いします。 某映画館での話です。 いわゆる成人映画ばかりを専門に上映する映画館で、そこは以前にも行った事があるのですが、今回は「ついに」という事がありまして。 最初にその映画館に行く時に、友人からあそこは「ハ〇テン場」なので気を付けた方が良いという忠告を受けておりまして。 まあ、それを聞いたからと言
電話好きな人ってのが居る。 好きかどうかは分からないので、正確に言えば「電話を通信の第一手段」にする人が居る。 そんな人が苦手である。 ものすごく苦手である。もっと言えば嫌いである。 もちろん、緊急を要するような時には電話は有効な通信手段であるとは認めるが、それ以外では使うべきではないとすら思う。 電話をかける側の気持ちは分からんが、余程のせっかちか相手の事など微塵も考えない自己中としか思えない。 ちょっと考えれば分かると思うが、電話を受ける側にしてみれば、これほど迷惑
音楽にしても演劇にしても、ステージに立つ演者さんたちが、SNS等でステージが終わった後にたまに発する「楽しかった~!」という投稿について思う。 まあ、本人が楽しかった事は悪くない。 しかしながら、客としては、そのステージが楽しかったかどうかは様々。 ステージ上の演者が楽しむのは別に構わないけど、大事なのはそこじゃないと思うわけで。 上の「楽しかった~!」発言には、モヤモヤする。 ましてや、客であるこっちが楽しめなかったステージだとさらにモヤモヤするワケである。 要は「おの
高島屋もいよいよ今月末で閉店って事で、今日はかつて柳ケ瀬をモチーフにした歌をヒットさせた有名人が来岐したらしい。 お昼に高島屋前のステージで無料のイベントとその歌にちなんだ映画が上映される映画館に舞台挨拶に立ち、夜には有料コンサートも開催されるという柳ケ瀬ざんまいだ。 舞台挨拶もコンサートもすぐにチケット完売した事もあってか、お昼の無料イベントには5,000人もの人が集まったとのニュースもあった。 いくら有名人とは言え、昭和の歌手。 それでこれだけの人が集まってしまうっての
災害復興中の地域で祭りが開催されたというニュースを観ました。 それは結構な事であって文句を言う筋合いもないが、どうにもモヤモヤするのである。 ニュースの論調としては、災害から復興する象徴のように「お祭り待ってました!」な感じで、祭りの参加者の皆さんのインタビューも当然のように、そんな番組の主旨に沿ったコメントばかり。 コロナ騒動の頃にも思ったが、誰もが祭りを待ってるワケじゃないと思うわけで。 私などは自他共に認める「陰キャ」なので、祭りなんていう正に「陽キャ」のイベントなど
昨年2013年11月の「文学フリマ東京37」でたまたま出遭った鮎川まきさんの新作エッセイ。 鮎川さんがこのテーマでエッセイを書かれるというのを知ってから出版を心待ちにしていたので、さっそく入手致しまして、実はその日のうちにイッキ読みしました。 ずっと感想を書きたいと思いつつ今になったのは、なんとなくという事もあるけど、考えてしまう事が多くてまとまらなかったと言うのが本音。 結局まとまらないので、そのまま書いちゃえって感じで書き始めたので、まとまらないのは必須ですので最初にお
昭和40年代の「ぼくらのゴジラ」を観て育ったせいか、リアル追求型の怪獣映画には飽き飽きしてます。 もはや夢も希望も無いとはこのことです。 ましてやここに来てメジャーな映画賞にまで名前が挙がって来て、いやはやもはや「ぼくらのゴジラ」など誰も見向きもしないのか。 流星人間ゾーンにゲスト出演したゴジラに狂喜乱舞した時代が良かったね。 しょせん怪獣映画なんてのはゲテモノで子供のもので良いんですよ。 ゴジラに限らず特撮やらアニメが今や大人にも人気で堂々と「好き」などと言っちゃう人
前に書いたのは、「1.17.」とか「3.11.」とかの話。 今日は2月1日という事で各メディアは「1ヶ月経った」という事でそれ関連の話題がいっぱいです。 相変わらずメディアなんてのは商売なのでいい加減なものだと感心してます。 さて、そんな今年の「1.1.」 従来だと冒頭の「1.17.」とか「3.11.」とかと同じ扱いになるんでしょうか? ここまで1ヵ月間各所で大騒ぎしておいて来年以降は無視ってワケにもいかないんじゃないでしょうか? そうなると、毎年「1.1.」の話を出して
某人気歌手の他者とのコラボに対して文句言ってる話が界隈で騒がれていますが、当の某人気歌手さんが言われてる事が真っ当だし100%理解出来るのですが。 要は自分が大好きで応援してる方があろうことか自分が大の苦手と言うか嫌いというレベルの方がコラボしてしまって、自分がとても観たいと思ってるエリアに観たくない人が入って来る事に対して憤ってしまうと言う事だと思うのですが、これは残念ながら私自身にも経験があってやはりそんな時は観たくない人を批判してしまう気持ちになるのも理解出来てしまうわ
noteに地元岐阜のアレコレに文句ばっかり言ってるなと改めて思う。 地元活性化を謳い文句にしたイベントだの映画だのの話だ。 「おかえり、こっち側の集い」というテレビ番組を見てて、やっぱり地方と言うのは都会(あっち側)への憧憬という呪縛からは逃れられないものなんだと思った。 結果どうしても地方都市はなんとか都会のようになりたいと「あっち側」の要素を取り入れて「あっち側」へ行こうとするんだなぁと。 そしてそんな流れを見るにつけ私の天の邪鬼な性質も影響して「あっち側」へ行こう
昨年秋から同じ映画を観る為に映画館に9回通ったんである。 映画は「野球どアホウ未亡人」という昭和の野球漫画か野球アニメ及びロマンポルノの定番タイトルのようなワケの分からないものだ。 とは言えR18的な要素はほぼ無く野球らしき描写はあるものの誰もがイメージするような野球映画でもない。 ワケが分からない。 つまりはそういう映画である。 初見の際の感想は「なんじゃこりゃ〜」であり「ワケ分からん」であり「ヒロイン可愛い」であり「やたらバカバカしくて楽しい」であった。 60分とい
岐阜市柳ケ瀬にある老舗映画館を舞台にした映画が作られるという話を聞いた。 しかも出演者には以前推していた岐阜市出身の女優さんの名前もある。 かつての私ならすぐに飛び付くような話で可能ならエキストラにでも出たいと思うレベルだったはずだ。 しかしながら今の私はこの話を聞いても何も心が動かなかった。 その女優さんは数年前から推すのをやめている。 SNSでの政治的発言がちらほらあったせいでシラけたのが原因である。 なので最近の彼女の事は知らないが私にも馴染みだった社長の事務所も
最近の岐阜県も岐阜市もやたらと表記を本来の「岐阜」という漢字を使わずに「ぎふ」を使いたがる傾向にあるのは実に嘆かわしい。 その理由は定かではないが、考えるに読みやすさとか「岐阜」という漢字そのもの特に「阜」という字は一般的にほぼ他で使う事が無い漢字で県外の人で書けない人も多い。 そんな事もあって表記を易しい平仮名表記にしているのかも知れない。 しかしだ。 それならば尚更に本来の「岐阜」と表記して正式な漢字表記を内外にアピールすべきではないのか。 これも最近の世の中に顕著な
岐阜市に生まれ育って63年なのでそれなりに愛着はある。 住民税だって何十年も払っている。 しかしながら好きな街かと言われれば否である。 正確に言えば岐阜市の行政がやることなすことが気に入らないので街そのものが好きになれない。 9年間の東京生活を終えて2008年に岐阜市に帰って来てからは特にそんな思いが強い。 2008年から5年間活動した「やなな」というゆるキャラは頑張ったがしょせんはイベント。 イベントで街を盛り上げるなんてのは安直によく実行される手法ではあるが、盛り上
岐阜市の高島屋が来年の閉店を発表した。 これで岐阜県から百貨店が無くなる。 まあ当然の結果だと思われる。 いやむしろよくもここまで続けてくれたものだと感心する。 私が東京から帰郷して来た2008年頃の柳ケ瀬はビックリするほど衰退していてこれはもうダメだなと思った矢先にやななが登場してそれなりに賑わいも見せたが5年で引退。 その後も若い皆さんがあれこれと柳ケ瀬を盛り上げようと奮闘しているのは見かけるようにはなったが結局は一時的なものばかり。 イベントがあればその日には人が集まる
自分以外の誰かの意見とか考えとか、もっと言えば単なる趣味とか それに接した時に否定するってのは割りと簡単だししかも否定の気持ちってのはたいていが自分の正直な気持ちだったりする それに比べて肯定と言うのはなかなかに難しい もちろん100%同意するような場合なら簡単に肯定出来るけどそうで無い場合の方が多いからどうしたって肯定しようと思えばある程度自分の気持ちには無理をする事になるし最悪は全く同意してないけどそうせざるを得なくて肯定する事さえある ある意味、否定は動物的脊髄反応