見出し画像

茶酵令嬢双書ルリーアンジェ編☆第25note《『わたくしのお茶は飲めない、とでも?』~茶酵令嬢は世を”秘”する~》

愚煎(弐連) It’s not my cup of tea (後)


「大丈夫でしたか?ご令嬢。」

ルリーアンジェの驚きの表情にも素知らぬ顔で、彼は穏やかな口調でそう問うてきた。

「え?ええ。あなた、のおかげで。」

熱に浮かされたかのようにただ単語の羅列で応える。

「それは良かった。では、一つお願いが。」

「え?」

彼はその場の誰にも間を持たせず、即座に彼女の側に寄ると彼女に向かって軽く礼を取った。

「あなたを守る名誉をいただけたことに感謝を。そしてどうかこのご縁をもって最初のダンスを踊る栄誉をお与えいただけませんか。」

そう言って彼女に手を差し伸べた彼は彼女の瞳を見つめたまま、視線を外さない。

彼女は無意識の内に彼が自分に差し伸べたその手に向かって自分の手を伸ばしていた。
彼がふっと微笑む。彼女は自分の胸がきゅんと鳴った気がした。
そして彼は彼女の手を取ると、その甲にそっと自分の唇を落とした。

彼は彼女の手を取ったまま、大広間のダンスの場へと誘う。

彼女は彼と共に足を踏みだす度にふわり揺れる自分のドレスがまるで妖精の翼のように自分を軽やかに飛ばせているかのような、足元の感覚を感じない位に自分が浮き上がっているかのような表現しがたい心地のまま、彼が彼女の側に在るこの時が夢のような儚さなのかもしれないとさえ感じている自分に震えを感じそうなほどの感情の揺れを思いながらも、それに自分の身の全てを流して溶けてしまいたいとまで感じていたのだった。

夜空に響くかのように王宮の舞踏会に奏でられる音楽の音色が、今日は耳に届かない位遠く感じられる、と思った彼女は、ふっと冷静な自分を取り戻そうと足掻き始めて彼の顔をじいっと見つめる。

夢見心地だったルリーアンジェの顔つきが、もの言いたげな表情を露わにするのを見つめていた彼が、次のステップで彼女の耳元に近づいたかと思うと、彼女に囁いた。

「どうしてここに、といいたげだな。」

そして次のステップで手を伸ばし彼女の身体をくるりと回す。
その弾みで、彼女の開きかけた唇が何も言えないまま閉じる。

そしてまた二人の身体が近づくと、彼女は彼が何か言う前に言葉を放った。

「あなたがここにいていいわけないでしょ?」

彼女の強気な物言いが彼の中に爽快な風を吹かせ、彼は柔らかい微笑みを彼女に向けると今度のステップで彼女の腰に手を置くと彼女を思い切り自分の方へ引き寄せた。

「なっ・・・。」

彼の顔があまりにも近い、と彼女がそう感じた瞬間。
彼女を見つめる彼のその黒い瞳の奥底の揺らめきが、彼女が自分の心の深淵に封じこめているはずの彼女の繊細な琴線を掻き鳴らす。

言葉がもう浮かんでは来ない。
彼との最後のステップが終わろうとしていた。
ダンスの最後に互いに礼を取る為に互いの手を離そうとする、その時、彼がルリーアンジェの手をぎゅうっと握りしめながら、真摯な瞳を向けて言葉を贈る。

「約束を。」
「え?」
「果たしに来たんだ。」
「?」
それはどういう意味かとルリーアンジェが問う間もなく、彼がいきなり彼女の前に跪いた。

音楽が止まる。
次のダンスが始まらないまま、大広間が静寂に包まれた。
誰もが、彼らを見つめたまま。
アンゲフォース伯爵令嬢とそのパートナーであるこの男性を。
王宮のあらゆる者達が、この麗しい二人の動向を固唾を呑んで見守っている。

アンゲフォース伯爵は、自分の命令を無視してプリカティットル卿を置き去りにしたまま、見知らぬ男とダンスを踊っている娘への苛立ちを隠そうとはしていない。ダンスが終わりさえすれば、娘を叱咤し今度こそプリカティットル卿に押し付けなればと、今か今かとダンスの曲が途切れるのを待ちくたびれていた伯爵ですら、何が起こったのかと、そして今から何が起ころうとしているのかと、呆気に取られてダンスフロアにその目が釘付けになっていた。

そしてその男性は、誰かがそこに入り込む猶予を与えるものか、という勢いで口を開いた。
彼の大きな声が大広間に響き渡る。

「まずはご無礼をお許しいただきたい。その上で
マラーケッシュ公国国王陛下に申し上げたき儀がございます。」
彼の声は宮廷の空気そのものに、びいいんと振動を与えるほど力強く響き渡った。

国王は大広間の二階桟敷の席で舞踏会の様子を眺めながら、他の王族等と寛ぎの時間を過ごしているはずだった。
闖入者の大きな声、その呼びかけにも国王はすぐには動かなかった。
が、つい先ほど国王の命で席を外していた側近が慌てて戻って来ると、国王の耳元に何かの報告を告げる。

そして国王陛下が二階座敷からその姿を見せる。
国王の姿に広間の全ての者が膝を折って礼を取った。
「よい。皆、楽にせよ。」
国王が声をかけると、ルリーアンジェの側の男性以外の貴族達は立ち上がり、この対面、この対決を見逃すまいとそのまま緊張感ごとゴクリと唾を呑んだ。
国王がその闖入者に言葉を掛けた。

「皆が楽しんでいる今宵のこの場を崩すとは、まことに無粋な者だが。
なにゆえのこの無礼か。申してみよ。」

誰もが国王の寛大さに敬愛の情を感じながらも、さて若者がなんと申し開きをするのか、いったい何を語るのかと、好奇心をもたげて聞き耳を立てていた。

「国王陛下の御恩情に心からの感謝を申し上げます。
まずは名乗らせていただくのが遅くなったことをお詫び申し上げます。
私は隣国エーリガント帝国侯爵家嫡男レイビオン・ルーディシュ・リントヴェルムでございます。陛下にお願いしたき儀があって御前を汚しておりますことをお許しください。」

彼が自らの名を告げた途端、大広間にヒソヒソとした声がさざ波のように広がってゆく。

なんと!
隣国の将軍が。なぜここに?
あの姿は間違いない、黒い髪、黒い瞳。
ああ、恐ろしいものだ、帝国の剣鬼が戦場でもないここになぜ?
不吉なことだ。
『テネブラエ ラルウァ(闇の悪鬼)』が我らがマラーケッシュにいったい何を?

ルリーアンジェは大広間に広がる人々の勝手な物言いに自分の胸が痛むのを感じた。
あまりにも、あまりな言い様だわ、と。
何も知らないくせに、彼のことを。
彼の、本当の彼の姿を知らないのに、彼を前にしているのに、なぜそんなにも酷い言葉を連ねることができるのと。
その思いに怒りの感情を突き動かされた彼女が彼の盾になろうと言葉を探しながら彼女の身体が一歩足を前に踏み出そうとした。その瞬間、彼女の手を彼がそうっと握り締めた。
そして彼の方に顔を向けた彼女に、彼は柔和な微笑みで応える。大丈夫だといわんばかりの彼の穏やかな微笑みに彼女は思い留まったが、互いにその手を離すことはない。

彼は国王の方に顔を向ける。
国王は表情の無い顔で階下の様子を凝視していたが、レイビオンは国王のその眼差しを真っ向から受け止めて決してその目を逸らさなかった。

ふっと少しだけ口角を上げたように見えた国王が、感情を一切消し去った無機質な声色でレイビオンに言葉を落とした。

「よかろう。これほどまでの無礼をもってしてまで、申したき儀というならば。この耳にそれが届くはどうかは知らぬが、まずは申してみよ。」

「寛大な御心に感謝申し上げます。」
レイビオンは自分のすぐ側の彼女をチラリと見入る。
ルリーアンジェは自分の心臓が弾みをつけて踊り出すかのような、その動悸が自分の身体を刻みこんで震わせてしまうかのような感覚を自分の全身で受け止めようとしていた。
そして、ルリーアンジェは彼が何を言おうと何をしようと、自分の行く道はここに、彼に在るのだという真実を自分の心の芯なるものが自分に諭しているのを知る。
それ故に、彼女はただ、彼の眼差しにコクンと頷かずにはおれなかった。

レイビオンもまた彼女の眼差しに、彼女の頷きに応えると、跪いたままルリーアンジェの手を取りその甲にそっと唇を寄せる。
そしてレイビオンは国王に向かってその言葉を紡いだのだった。

「マラーケッシュ公国国王陛下に申し上げます。
私、レイビオン・ルーディシュ・リントヴェルムは、マラーケッシュ公国ルリーアンジェ・ステラクス・アンゲフォース嬢と婚約の儀を結んでおります。彼女は私の大切な女性(ひと)です。どうかこの愛をお許しください。」


<第26noteに続く予定です。>



⇓  ⇓  ⇓  ⇓
第1note~第24noteまでのリンクを載せています。⇓   ⇓   ⇓




#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?