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茶酵令嬢双書ルリーアンジェ編☆第23note《『わたくしのお茶は飲めない、とでも?』~茶酵令嬢は世を”秘”する~》

愚煎(壱連) It’s not my cup of tea (前)



独りの男がそこに、深き遠き闇の淵に生きている。
「アンゲフォース、アンゲフォース。
憎々しきこの名を、あと何度・・・唾棄すべきか。
アンゲフォース。
あらゆる憎悪をかき集めたとて足らぬほどのこの厭忌の情を、どうしてくれよう。
深淵より愛しきアンゲフォースに。
この怨嗟の口づけをおくろう・・・。」



「公国に太陽であられる国王陛下にご挨拶申し上げます。」

ルリーアンジェはやや緊張気味の身体をぐうっと抑えながら、マラーケッシュ公国の玉座に向かってカーテシーを捧げた。

”真っ赤な毒薔薇”として様々な夜会には参加した経験はあったけれど、そのどれもが格式の高いものではなかったルリーアンジェにとっては、王宮での舞踏会は始めての機会でもあった。
そして虚弱な体質故にその姿を”秘”するために、屋敷に籠っていた伯爵令嬢ルリーアンジェにとっては、国王陛下に初めて挨拶を捧げる今夜こそが社交界デビューとなったのである。

「顔を上げるがよい。」
穏やかな声色が彼女の耳に届いた。

彼女が玉座に目を遣る。とその視界にまっすぐに映ったのは、国王の瞳。
老齢に近いはずの御方だが、その眼差しは力強い。
国王の表情は動かぬまま、ただじいっとこちらが透けてしまうかのようにまで凝視しているのは何故なのだろう。
と、その疑問は次に彼が砕けるような笑顔を放ったことで霧散した。

「アンゲフォースのルリーアンジェ嬢。祖母君によく似ておるな。
麗しの宵の明星と呼ばれた・・・。」

ルリーアンジェは国王の口から零れてしまった言葉に、彼の瞳の奥に浮かんだ何かががふいっと彼の心を宙に浮かせたかのように感じ、ついっと国王の瞳を見つめた。
だが、彼はすぐに元のままの国王に戻っていた。

「マラーケッシュの王宮でまたそなたに会うのを楽しみにしておこう。
今宵は楽しまれよ。」

国王の言葉は、初めて王宮に上がり、社交界デビューした伯爵令嬢にとっては破格のものといえた。

それゆえに、この夜の舞踏会では多くの貴族達が我先にと彼女を取り囲むことになったのである。

国王がその大広間の玉座を去り、舞踏会が始まろうとしていた。
宮廷楽士達がファーストダンスの為の音楽を奏でようとしている。
シャンデリアの光は大広間に集った貴婦人、令嬢たちを飾り立てている宝石に絡みつくかのように夜を煌めかせて揺れているよう。

ルリーアンジェは、義兄であるエシュリオンと最初のダンスをするよう言われていた。
エシュリオンは義妹であるルリーアンジェの美しさに舞い上がっているかのように彼の方が頬を赤くして緊張しているかのようだった。

「ルリ。兄さまに任せておけばいいからね。」

少し緊張気味の声からは若干の震えさえ伝わってくるかのようだったが、ルリーアンジェは素直に「はい。お義兄さま」と返事を返した。
彼女はこの気弱ではあるが心根の優しい義兄が人間として好きだった。
そして、あの冷淡な伯爵家の屋敷の中で、父に逆らおう力は無くとも自分の出来得る範囲で義兄がルリーアンジェを家族として大切に思ってくれていることに彼女は心から感謝していた。

エシュリオンがルリーアンジェの手を取って、二人が舞踏フロアに向かおうとした時、ツカツカと足早に父が割って入って来る。
「父上?」
思いもかけない父の出現にエシュリオンは驚きの声をあげた。

「ルリーアンジェ。お前は今夜は別の方と踊るんだ。
いいか。音楽が始まったら、お前にダンスを申し込みにいらっしゃる。今日はその方のエスコートにお任せせよ。いいか。なにがあろうと。その方の望まれるまま。これは当主である私の命令だ。」

父がくどい程、私に言い聞かせるのは、話の内容からしても理不尽な匂いが燻っているし、ああ、全く持って嫌な予感しかしない。
そして、私の胸にこの台詞が浮かぶ時はだいたいが、この予感は的中に違いない。
さて、いったいだれが?そしてどうやってそれをかわそうか?

頭の中を段階的に作動させながら、私は自分に逃げ道を作る算段を整えようと、脳をフル稼働し始める。
そうして私は、口角をゆっくりとあげながらにっこりと綺麗な笑顔を作って父に、アンゲフォース当主である伯爵に応えた。

「はい。お父様。仰せの通りに致しますわ。」



「ルリーアンジェ。ご挨拶を。」
父が私の元に独りの男性を連れて戻って来た。

「ルリーアンジェ・ステラクス・アンゲフォースでございます。」
私は作法通りに礼を取る。

「おお。国王陛下が称賛されるだけのことはありますな。
宵の明星とは、実に・・・。」

始めて会ったばかりの女性に対してのこの物言いはいったいなに?という苛立ちが私を焦げ付かせそうになったが、それに冷水をかけることも私の得意なところだ。こういう時は、と。
私は唇を開かない道を取ろうと、ただただにっこりと微笑むのみ。

「さあ、ルリーアンジェ。プリカティットル卿にエスコートしていただきなさい。」

私は微笑みを貼り付けたまま、身動きできないフリをしてみた。
父は、いままで色々な貴族の男性に紹介していたが、公の立場を取るような振舞いを相手に許すことはなかった。
私はそんな父に連れまわされながら、自分が社交界という市場で競売にかけられる商品なのだという自覚を持つようにはなっていたが。今回の相手に対する父の態度は私に更に不快な感情を波立たせた。

プリカティットル卿とよばれた男性は、私の知る限りではマラーケッシュの貴族でない。
私は商談を率いる商団長として、大陸中の主要な王族、貴族の名鑑は頭に入っている。自国マラーケッシュに関しては、貴族だけでなく、著名な人物の氏、素性を網羅している。
だが、マラーケッシュにプリカティットル卿という者は存在しない。
では・・・?目の前のこの男性は、どこの誰なんだろう?

若くはない。40代後半か50代かもしれない。
平凡な顔立ちで、中肉中背のこの男性が私を見入る眼差しは、とてもぶしつけで。
ああ。この人は、貴族ではないと直感が示す。
では、高級な仕立ての服から見てもかなり裕福ということ。
となれば、答えは一つ。
他国の豪商か何かが爵位を買ったのであるだろうと。
領地の経営が立ち行かなくなった末端の貴族がその爵位を売り払う、といのはどこの国でもよく聞く話だった。
だが、何故父はどうみても怪しげな素性にみえるこの男性に私をエスコートさせようとしているのだろうか。
それも王宮での初めての舞踏会のファーストダンスに?
と、ここでハタと、自分の思考の流れが止まる、と同時に背筋がゾワッと何か得体の知れない不気味な膜に包まれる錯覚を覚えた。


「アンゲフォース家の令嬢がこれほどに美しい女性とは。伯爵とはまことに価値のあるご縁を結べるものですな。」

プリカティットル卿と呼ばれる男性が高揚した気分なのが伝わってくるその口調に、私の中の幼い心が暗闇に侵食されるあの虚無感が蘇ろうとするのを私の理性が必死に留めようとしているのをまるで遠くから眺めているかのような・・・そんな私の身体は緊迫されたかのように動かせない。

目の前の男性が私を見ながら、その手をこちらへ伸ばそうとしているのが見える。
「ルリーアンジェ。さあ。」
父が貼り付けた笑顔の中にも苛立ちを隠すことなく眉毛を釣り上げたまま、私の背中を押さんばかりに声をかけてきた。


万事休す、かしら。逃げ道が無さすぎる。
あまりにも突然の、あまりにも見え透いたこの・・・。

ああ。ここで気絶するのは、果たして。
社交界デビューの王宮舞踏会で気を失って倒れる醜聞と、このまま彼らの策略に載せられるのと。
いったいどちらがマシか、等、天秤に掛けるまでもないことだわね。

ルリーアンジェは自分の覚悟を自分に寄せるかのように、すうっと息を吸うと、大きく吐き出した。

にこにこと笑って自分の差し出した手に、彼女が手を伸ばすのを待っているプリカティットル卿のほうへゆっくりと手を伸ばしながらも、上手くふらりっと倒れなければ、ねとそのことに彼女は神経を集中させていた。

故に、コツコツとした靴音が自分たちのほうへ近づいていたことにも、自分たちの周りが静寂と化して注目の的になっていることにも、気付かないままで。
その瞬間が彼女に訪れたのだった。



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