砂漠の一夜
たしか「近境・辺境」だったと思うけど、旅行記の中で村上春樹が「ぼくは自分の記憶を信用しない」というようなことを書いていた。それを読んだとき、ぴしゃりと音がするくらい腑に落ちた。
どんなに一生懸命目に焼きつけようとしたものも、幾年かの月日がたつと悲しいことに靄がかかってくる。
30近くなった最近では、友達と思い出話に花を咲かせているときにお互いの記憶違いが判明して「あれ?」となることも増えてきた。
だから写真を撮るのかもしれない。いつか忘れてしまうかもしれないこの一瞬を、何度も大切に取り出して眺められるように。クッキーの箱にキーホルダーやビー玉をいれていた子どもの頃と、本質は変わっていない気がする。
・・・
インドのジャイサルメールという街で、砂漠へ行くことにした。インドで砂漠というイメージはあまり一般的ではないと思うけど、日本円にして3 ,000円ほどで、一泊二日の砂漠ツアーに参加できる。夕食・朝食・チャイつき。いろんな会社が催行しているけれども、どこも内容は似ていて「キャメルサファリ」と呼ばれている。
「砂漠へカメラを持っていくと壊れる」という噂は前々から耳にしていたけれど、どうしても写真を撮りたいと思った。砂、青空、ラクダ。想像しただけで撮りたい景色が広がる。迷いに迷ったうえ、防塵・防滴仕様の機材だけを持って、参加することにした(ちなみに大きな荷物はホテルで預かってもらえる。便利)。砂漠地帯というとかんかん照りのイメージがあるけれど、今日は秋っぽい風が強く吹いていてきもちいい。
サファリには私のほかにも日本人のグループが2組いた。1組はデリーで働く20代の女性ふたり組み。もう1組は、デリーにお住まいの4人家族。私をふくめて日本人が7人と、フランスから留学に来ている男女6人グループがいた。
年の近い女性ふたりがいることも、ふだん触れ合うことのないキッズがいることも嬉しくて、幸先のよいスタートだと思った。フランス人グループの面々はなんとも一触即発でラブが生まれそうな雰囲気むんむんで、私の頭の中では「テラスハウス」の文字がぴかぴかしていた。
・・・
車で郊外まで1時間ほど走っただろうか。何もないと思っていた場所に、突如ラクダの群れがあらわれた。羊の群れもいた。木陰と大きな池があるオアシス地帯になっていた。
なんの説明もないまま、「はいはい乗って乗って!」とラクダの背に乗せられる。
ラクダの上は思いのほか高さがあって、ちょっと恐かった。だけど、ふにっふにっと砂を踏む感覚は気持ちがよかった。決して大きな砂漠ではないので遠くのほうには街の一角や風力発電所が見える。
砂地のまわりには、ブッシュというのだろうか、背の低い草木が茂っている。それでも、初めて乗るラクダと目の前に広がるうつくしい砂紋は、アラビアのロレンス気分を味わうにはじゅうぶんすぎるくらいだった。
目の前の風景が完璧な造形をしているので、適当にシャッターを切るだけでも絵になった。
ストールをなびかせたりシルエットを撮ったり、みんなでアー写ごっこをした。日本人家族の9歳の女の子は、あっという間に泥団子をつくっていた。すこし掘ると、しめった土が出てくるらしい。やはり子どもは遊ぶ天才だ。
見渡すかぎりの青空に囲まれてチャイを飲んだ。刻々と形を変える雲を眺めた。
思い切って裸足になると、砂はさらさらとやわらかく気持ちがよかった。フンコロガシが一生懸命歩いていた。見たことない色のトカゲもいた。おやつのビスケットをかじると、口にはいりこんだ砂がしゃり、と音を立てた。それすらも楽しかった。
まっすぐな地平線に向けて、太陽が沈んでいった。砂丘の上にみんなで並んで座り、太陽を見守った。遮るものののない広い空は、まるで虹のようなグラデーションを描いていた。
すっかり太陽が沈むと、今度はまるでからくり時計のように星空が現れた。墨を流したような空に、宝石のような星が光る。
地平線の向こうからはサーチライトが追いかけてくる。もしかするとあれはパキスタンを警戒しているのだろうか。日本で見るサーチライトはライトアップ用のものばかりだけれど、あの光はたしかに何かを「サーチ」していた。親しくはない何かを探しているように見えるそれは、映画「ライフ・イズ・ビューティフル」のあのシーンを思い起こさせてすこし胸の奥がざわりとした。
しかし一瞬あらわれた不穏な気持ちは、満点の星空の出現によってすぐにかき消された。天の川だろうか、霞のように星が集まっている部分もあった。流れ星が次々と現れる。
夕ご飯は、焚き火でつくったカレーをいただく。ほくほく煮崩れたじゃがいもと、冬瓜のような野菜がおいしい。焚き火を囲んで飲むビールの味は、それはそれは格別だった。
「好きな人と来たら告白成功しちゃうかもしれない」なんてはしゃぎながら、女性陣で恋の話をした。砂のうえに寝っ転がると、超巨大プラネタリウムのような夜空に包まれる。地平線の向こうに稲妻が見える。そういえば昨日は曇りで空があまり見えなかったという話を聞いていたので、今日の澄み切った星空に感謝した。
寝る際にはテント・野外ベッド・野外ふとんの3択から選べる。私は一番人気だというベッドタイプを選び、2組の日本人グループはテント、テラハメンバーズはふとんだった。
砂がかからないようにすっぽりと毛布にくるまり、そっとイヤホンを取り出す。大好きな映画「アラジン」のサントラを再生する。ホール・ニュー・ワールド。まったくの新しい世界。
私は映画の主人公にも、アラブの王にもなれない。だけどこの夜だけは誰より贅沢な自信がある。満点の星空と心地よい夜風。
完璧な一夜だと思いながら目を閉じた。
閉じたまぶたの向こうに、光が見えた。
光?
気にせず眠ろうとしたけれど、徐々に徐々に、光が強くなるのを感じる。稲妻が近づいてきている。
雨がふったら野外ベッドはひとたまりもない。迷ったけれど、女子ふたり組のテントに入れてもらうことにした。
テントに入って安堵したのはほんの束の間だった。雷の音と光が、徐々に、しかし確実に近づいてきているのを感じる。稲妻の光で、テントの中が不気味に明るくなる。
思い出してほしい。
女の子が泥団子を作っていたこと。乾いた砂のすぐ下は、湿っていたのだ。
砂漠なのに木や茂みがそこらじゅうにあること。
オアシスさえも近くにあったこと。
そう、この砂漠、雨が降るのだ。
思えば、朝から風が強かったことも、雲が美しかったことも。すべて辻褄があう。
ただの雨なら問題ない。しかし恐ろしいのは雷だ。何もない砂漠のど真ん中で、どうやって雷をやりすごせばよいのだろう?
足がへなへなと震えている。どこか他人事のように、「あ、私いまめちゃくちゃ恐いんだ」と思った。
とうとう、眠っていたメンバーすら目が覚めるくらい、雷は近づいてきていた。さっきまで超豪華プラネタリウムだった空間が、今では分厚い雲に覆われた雷劇場と化していた。
その雷は、「野生」という言葉がぴったりだった。東京のビルの中で「きゃー音こわい〜〜!!」と笑いながら見る雷とは、訳が違った。
神が、鳴る。これが神の怒りじゃないとしたらいったい何なのか。そのメカニズムを知っていても、「いえいえいこれは神の怒りです」と言われた方が納得いくくらいだ。
どうしましょうね?と、日本人ファミリーのお父さんとお母さんに相談する。車の中に入るのが一番だ、ということで意見は一致する。そんな場合ではないのに、子どもの頃足繁く通っていた久留米青少年科学館のことを思い出す。「車は、雷が落ちても平気です」。車の模型に電流を流す実験映像のことが頭にうかぶ。ありがとう科学館、20年越しにその知識が役に立つとは思ってなかったよ。
「おねがい、車をまわして!」インド人スタッフに懇願してみる。しかし彼はへらへらと笑うばかりで取り合ってくれない。
「雨は降らないよ」
「なんでそう言い切れるの?」食ってかかる私に、「いつもそうだから」と余裕たっぷりの返事。
今まで大丈夫だったことが安全の根拠にはなりえない。現代日本に生きる私たちは、残念ながら身をもってそれを知ってしまっている。
「彼は大丈夫だって言ってます、だけど…」
「自分の身は自分で守らなきゃ、ですからね」
言い淀んだ私の言葉の先を、お父さんがすっと繋いでくれた。
私とお父さんがインド人スタッフに懇願しているあいだに、お母さんが気をきかせてホテルに車をまわすよう電話をしてくれていた。機転の利いた行動と流暢な英語。なんてかっこいいお母さん。
熟睡していたテラハ組も目がさめたようだった。「雷が来てる」と私が伝える。「ノープロブレム!」とテラハ男子のひとりが豪快に笑う。ひとりの女の子は不安げだったけれど、男性陣は取り合おうとしない。
鼻の先に、感じたくなかったぬるい水滴を感じてしまった。とうとうきた。
ぱらり、ぱらり。
そのときだった。茂みの向こうにヘッドライトが見えた。
待ちわびていた車はまさかの、屋根のないオープンジープだった。運転席と助手席以外は、軽トラの後ろの部分に座席をくくりつけただけのような状態だ。
いや、「まさか」ではないはずだった。ここは砂漠なのだから。ふつうの車は入って来られない。そんな簡単なことすら忘れてしまっていた。
雷は防げない。だけど乗るしか選択肢はない。トトロの冒頭のように、みんなちっちゃくなって荷台に乗り込む。
ぶろろろ、と鈍い音を立てて車は出発する。
ぬるい雨粒がぽつぽつと頬に落ちてくる。だけど、そんなことは気にならなかった。雷がすこしずつ遠ざかっていくのが感じられて、やっと体の感覚が戻ってきた。ヒッチコックの「鳥」の主人公たちも、こんな気持ちだったのだろうか。観たことないけど。
一瞬現れる薄紫の空。照らし出される砂丘のシルエット。アメリカには美しい雷を追うツアーがあると聞いたことがある。雷愛好家からしたら垂涎ものであろう光景が、遠くの空に広がっていた。
ゴトゴト揺れる荷台でカメラを取り出す余裕はなかったし、気持ちも憔悴しきっていた。結局、雷の写真は一枚も撮れなかった。だけどこの景色だけは、きっと忘れることはないだろう。
サポートいただけたら、旅に出たときのごはん代にさせていただきます。旅のあいだの栄養状態が、ちょっと良くなります。