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絵を塗るようにレタッチを

外に撮りにいけないので、過去の写真をぼちぼち再レタッチしはじめた。

じつは、コロナの影響で帰国してからというもの、しばらくは自分の撮った写真を見るのが嫌だった。こんなことになるとは知らず楽しく旅していた過去の自分が憎たらしかったし、失ったものの大きさを直視するのがこわかった。自分に嫉妬するなんて馬鹿馬鹿しいけど、過去の自分に嫉妬していた。

だけど少しずつ、旅の写真を見返せるようになってきた。本音を言うと、まだ、晴れやかな気持ちで思い出を振り返ることはできない。コロナさえなければ、と譫言のようにくり返してしまう・・・じゃない、あぶない、もうこの話は辞めましょう。気を抜くとつい愚痴の無限ループになってしまう。今日はレタッチのことを書くんだ。

レタッチは、写真の色や明るさを調整する作業。撮ったデータを作品として仕上げる過程。なんだけど、実のところ私はあんまり「もっとクオリティの高い写真に仕上げよう」とは思ってない。いや、クオリティは高いに越したことないと思うんだけど、心の中はどっちかというと「ぬり絵楽しいな」という気持ち。

カメラが記録したデジタルデータに、自分の気持ちをぬっていくイメージ。なんかこうやって言葉にするとクサいけど、別にかっこつけたいわけじゃなくて、事実なのだ。

レタッチをしているあいだは、その写真の中に気持ちがどっぷり入り込んでいる。撮った瞬間の音とか、光とか、においまで、じわじわ記憶が蘇ってくる。ただ眺めてるだけでももちろんいいけど、レタッチはより踏み込んだ作業なので、否応なしに細部を見つめることになるし、そのぶん写真の世界への没入度も高い。

カメラが生成してくれたデジタル画像を、自分の脳みその中の記憶に近づけていく作業。カメラが描いてくれた線画に、色を載せていく感覚。ずっと忘れていた瞬間のことを、レタッチしていたらふいに思い出すことだってある。「人間の脳は、忘れるんじゃない。思い出せないだけ」みたいな話はよく聞くけども、ほんと、そうなんだなあと思う。

・・・

新しい刺激に満ちた日々がいきなり終わって、過去を振り返る日々がつづいている。たぶん、まだまだ長い戦いになる。より上手く、より高く、を目指していたら、たぶん途中で息ができなくなる。じっくりぬり絵を楽しむくらいの気持ちでやってこうと思う。


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