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カメラといっしょなら、どこまでも

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写真関連について私が書いたnoteをまとめています。
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#日記

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余った壁紙で、宝ものを撮る遊び

過去の自分に赤入れしてみた。 -写真ver.-

以前、「過去の自分に赤入れしてみた」というnoteを書いたのですが、今回は写真バージョンです(前回は自分のツイートに対してでした。)。 ・・・ ハードディスクに溜まった昔のjpeg写真たち。当時は「めっちゃ上手に撮れた!」と鼻高々だったのですが、今見るとダメ出ししたいことだらけ。 今日はそんな1枚からピックアップして、レタッチで復活させてみました。 まずは撮って出しの状態からチェック。6年前の写真です。画像の見方は、1行目がファイル名。2、3行目がカメラの設定です。

銀座に海ができていた

ソニービルの跡地をたまたま通りかかったら、大きな水槽が出現していた。 水槽越しに覗く銀座は、まるでSF映画に出てくる海底の街のよう。 水槽一つで、見慣れた光景が変わる。 当たり前の景色が変わって見えるとき、自分の頭の中の概念もすこしだけ変わる。 今は当たり前にある銀座の街、あとどのくらい続くのだろう? 10年後も、50年後も、やっぱり当たり前に "銀座" として存在してるだろうか?それとももう、全然違う景色になっているんだろうか。 カメラを覗きながらそんな事を

これから、写真でやりたいこと

昨日の写真道場の名残がまだ抜けておらず、余韻に浸ったままぽわぽわと一日を過ごした。近所のタピオカミルクティーを飲みながらひたすらにnever young beachを聴いていた。 こんな週末に限って同居人も不在で(友人の結婚式で地元に帰っていた)、ひとりで家にいるといろんなことが頭をかけめぐって、かけめぐりすぎて、なんどもnoteを書こうとしたけどうまくまとめきれず夜になってしまった。 「道重さゆみを撮る」という具体的な目標を持っているさどまちとは対照的に、私にはハッキリ

写真集の模写、はじめました

「学ぶことは"真似ぶ"こと」だとよく言われる。 写真においても、大先輩たちが同じことを言っている。優れた写真を数多く見ること、そしてマネすることが大事だ、と。 しかし私は記憶力がよくないのか、写真をいくら念入りに眺めても、引き出しが増やせない。Pinterestのピンは増えるいっぽうなのに、なかなか血肉にはできていない。 そこで最近、模写を始めた。 あくまでザックリだけど、おおまかな構図と、さらっと塗れる程度の色ぬり。 隣には、撮るときの設定(絞り・シャッタースピー

あの頃、トイカメラがそばにいた

2011年から13年くらいの時期だったと思う。よく雑貨屋さんでトイカメラを見かけた。 値段はだいたい2000円から3000円くらいで、使い物にならないようなものから案外本格的なものまで、いろんな種類があった。どれもその名の通りオモチャみたいなカラフルなデザインで、学生でも手が届く気軽さが好きだった。 その後iPhoneが登場して、カメラアプリが普及するとともに、気がつけばトイカメラは店頭から姿を消してしまった。 かくいう私も、やっぱりトイカメラからずいぶんと離れていた。

はじめてのPhotoshop

ふだん、Lightroomばっかり使っていてPhotoshopにはなかなか手がのびない。 単語の意味レベルでわからないし、押すとこたくさんあるし、変なとこ触ったらやばい色になったまま永遠に戻らなくなったりするし・・・ と、食わず嫌いをしていた私にぴったりのイベントにいってきました。 その名も「 #魔法現像室 」。アキさんというプロフォトグラファーのかたが講師で、ファンタジックな作品の裏側をまるっと見せていただきながら解説してもらいました。 正直なところ、私のフォトショ

「ボケない写真」にチャレンジして気づいたこと

昨日の noteに書いた「制限をつけて写真を撮る練習」をやってみて、気づいたこと。 ・規則性のあるものに目がいくようになる ボカさないでも綺麗なものって、模様として綺麗なものが多いことに気づきました。均等にならんだ物体が、いつも以上に目に飛び込んでくる ・写真の中に「いれない」要素に気を使うようになる ボケでごまかせない分、余計な要素に気を使うようになりました。逆に言えば、今までかなりボカして誤魔化していたということか…恐怖! ・影の造形に意識が向く 自然と影の形を気

「ボケる写真を撮る人は、ボケた人です」耳の痛いフレーズの裏側に

タイトルは、note主催のスマホ写真ワークショップにて、講師の鈴木心さんが繰り出した言葉だった。 なにを隠そう、私はボケが大好きだ。 開放万歳、F値1.4ラブ。背景なんてみんな溶けてしまえばどこだって美しい写真が撮れるし、玉ボケはキラキラしててかわいくて正義。そう信じて疑わずに生きてきた。今日のボケボケなアイキャッチ画像も、私が撮った写真だ。 Twitter上で「開放でしか撮れないやつはクズ」なんて発言を見かけることもあった。だけど「それは単に撮るジャンルの好みの違いで

好きな人と、闘うことになりました

新宿、20時。 ぐつぐつと煮える火鍋をはさんで向かい合い、私とさどまちは呆気にとられていた。 広く清潔な店内を中国語が飛び交い、足元には鮮やかな鯉が泳ぐプロジェクションマッピング。 京劇(一瞬で顔が変わる門外不出のあれ)の恰好をした人が得意気に闊歩し、びょんびょんと伸びる麺をなわとびのように自在にあやつるカンフーマスターが拍手を受けていた。 なんなんだ、ここは。 どうなるのだ、今夜。 * 私のnoteをよく読んでくださるかたはご存知かと思うけれど、さどまちは私の

カメラを買ったきっかけ

カメラを買ったきっかけは、高校の文化祭だった。 文化祭のオープニングムービーを担当することになり、地学の先生に監修してもらいながら、動画をつくりはじめた。 カメラなんてもちろん持っていなかったので、写真部の友人に頼んで貸してもらった。 はじめて触ってみて驚いた。見える景色が、ぜんぜん違う。 いつも見てる景色なのに、ファインダー越しの風景はまるで映画のワンシーンのようで。毎日飽きるほど居る場所なのに、シャッターを切ったとたん、目の前の景色が過去になって。「あ、いつか私は

もうすこし、背伸びした写真が撮りたくて

この1年、人生の中でいちばん真剣に写真に向き合ってきた。ぽつぽつとお仕事もいただけるようになって、褒めてもらえることも多くなって。 だけどどこか、真面目にやればやるほど、写真が窮屈になってしまっている感覚は否めなかった。1枚で完結するプロフィール写真なら話は変わってくるけれど、物語性のある作品撮りをしたいと思ったとき、どうしても今の自分には撮れない領域がある。たしかに、ある。 どうしたらいいんだろう。 そう思って駆け込み寺的に相談した場所が、「もとくらの現像室」だった。

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もしも私が異国からきた人だったら、こんなふうに東京を撮るんじゃないだろうか