筆を取るじいちゃん

急に会社が休みになった(シフト変更を知らされていなかった)ので、通勤電車を途中下車してずっと行きたかった国宝だらけのお寺に行ってきた。こんなご時世だし平日だから、ほとんどお客さんはいなくて、お庭も貸し切りだった。そういや入場券と一緒にパンフレットもらったなと思ってばらばらと見ていったら写経の紙がふわりと出てきた。よくわからんけど写経有名な寺だったんかな。売店に売ってたしな。ほんと不勉強。20代。

写経と言えば母方のじいちゃんのことが浮かぶ。

うちの母はわりかし早いうちに病気で夭逝してしまった。母方の祖父母は健在だったので親より先に死んだ娘になる。そして私たち家族は祖父母に面倒をよく見てもらった。父方の実家の祖父母はすでにおらず県内だがすこし遠くにあったのでこまめなケアは出来なかった。母方の実家とは一駅しか離れておらずそもそも毎週遊びにきてくれていた。やっぱり子供作るならどっちかの実家の近くが優勝するよな。うんうん。

そんな祖父が母が亡くなってから、母の供養のために毎日写経をしているんだよと教えてくれたのは祖母だった。そういえば祖父はお寺の重役?をしていたせいもあるのだろうか。当時は御朱印や写経ブームの前だったしよくわかっていなかった。母を想っていることしか。なんだったら終ぞそれをみることはなかった。震災で全壊した家から持ち出せなかったのか、人に見せるものではないという信念の元だったのか。

教えてくれたばあちゃんはじいちゃんが大好きだったし、二人で一人前みたいな、口が回るばあちゃんと静かなじいちゃんのコンビ感が好きだった。

そして娘の忘れ形見の孫二人の行方を何よりも案じていた。大きくなるにつれて兄弟や従姉妹みたいにちゃんとしたところに進学して就職しなさいと言われていた。

今思えば愛なのだろう。不器用で真面目なじいちゃんの。


じいちゃんが亡くなったのは、母の死から13年後だった。93歳。老衰。大往生。お寺と関係あったし戒名めっちゃ長い。

葬儀のあとにひと悶着あったことも、それが死者への冒涜だったことも、悪意無く行われる発言も、そっとうちの父が叔父と縁切りしたことも。ここでは割愛しておく。

私は亡くなった大切な人のために写経をしたりはたぶんできない。母にもろくに線香をあげる子どもじゃなかった。そこまで信仰心がない。どんな気持ちでじいちゃんが写経をしていたのかも慮ることもできない。後悔していたのかな。その気持ちが供養というのかな。

でも、覚えておくこと、そばにいる人に伝えることはできるんじゃないか。そんな気持ちを思い出させてくれたから、孫の私も筆を取ってみた。



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