見出し画像

かわいいと言った君が愛しい【前篇】

 ただ一言「似合ってるね」「素敵な服だね」とスマートに褒めるか、思わないのなら何も言わなくていいのに、なぜ余計な評価を口走るのだろうか。

とにかくこの世の中は、安易に人のファッションや好みに口を出す人が多すぎると思う。


 テレビ番組の大変身企画や、唐突に道行く人々のファッションチェックをする帯番組のコーナーも好きじゃない。そもそも今時、テレビの情報などネットニュースで発信されてから何日も遅れて配信される鮮度皆無のものであるため信憑性にかける。
 情報とは、鯵と同じくらい鮮度が命の代物である。

 そういった個人の趣味嗜好に土足でズカズカ入り込まれるような類のやりとりは、生身の人間同士でも行われている。

 たとえば、いつもパンツスタイルの私がワンピースを着て出社してきたとしよう。通りすがりに「今日どうしたの?」とニヤけ顔で聞いてくる輩が男女問わず一定数存在する。
 はぁ、とため息をつく。なんだというのか。別にどうもしない。今日はワンピースを着たい気分だっただけだ。
 中にはどうやら「特別な日だからオシャレしてきたのでは」と勘ぐって聞いてくることもあるようだが、だったら尚更なんでそんなプライベートなことを、マスターこだわりのジャズがかかる喫茶店でもなく、ブランデーの氷をコロコロ弄びながら佇むバーカウンターでもなく、廊下ですれ違いざまにラフに尋ねられただけで公表しなければならないのか。私はSiriでもAlexaでもない。聞けばなんでも教えてもらえると思ったら大間違いである。

 どういうつもりで言っているのか甚だ疑問なのが
 「よくこんな色の服着れるよね」
 「この服は君にしか着れない」
 といった類の感想を、ウィンドウショッピング中に漏らされることである。
 褒められているのか、けなされているのか。派手な色を選びがちな私だが、どのショッピングモールにも入っているアパレル店で展開されているカラーバリエーションだ。よって幾度の商品会議で勝ち残り、数々の試行錯誤の末にデザイナーが「万人に売れる」と打ち出したものなのであるから、「こんな色」でもなければ「君にしか着れない」服なわけがない。
 良かれと思ってと親切心で発言する場合もあろうが、基本的にそれは相談を受けてからでないと成立しない言い訳であり、よく言って有難迷惑、悪く言うと余計なお世話である。
 思うに、こういった発言をする人は「自分を見る他人のために」服を着る人なのだと思う。ひとたび人混みに紛れたら見つけるのが困難なくらい周りと馴染む服。個人の好みではなく、周りからの評価で自己肯定感を高める。
 クソバイスと自覚しているため一度も口に出したことはないし今後も発言することはあり得ないが、私は「よくこんな服着れるね」と言われた時、彼らの発言の原因は私への羨望の裏返しだと解釈しているので、そんなに羨ましいなら一度チャレンジしてみればよかろう、出来るものならなァ!!と心の中で毒づいている。
 言ったとしても「そんな勇気ないよ~」などと返答される気がする。本人すら知らない勇気の所在を一緒に探してやる義理はない。

 今まで述べたことは私にとっては不意打ちや奇襲の類でしかなく、相手はジャブのつもりでもしっかりアッパーが決まっているためダメージは甚大だ。自分の好みがはっきりしている人ほど、こういう憂き目に遭うとモヤモヤして溜飲するのに数日を要してしまう。

 こういう時、必ず泣きついて話を聞いてもらう人がいる。夫だ。彼に話せば私の心はきれいさっぱり浄化される。私の夫は、いつも私の人生を豊かにしてくれるスバラシイ人間なのである。

 長々と講釈を垂れて急にハンドルを右に切ったので驚かれた方もおろうが、タイトルから想像がつくようにこの日記は単なる、壮大な、のろけ話である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?